秀吉の朝鮮出兵について

秀吉の朝鮮出兵について
 産経15年8月3日
秀吉の朝鮮出兵について
 先日職場の食事会があって、久しぶりにフランス料理を
秀吉の朝鮮出兵について
 高松市伏石(ふせいし)町のシェ・テス
秀吉の朝鮮出兵について
 「和」のかをりも。何事も10年前後の修行が要ると思った。




 
 秀吉の朝鮮出兵について


 中学校か高校か知らないが、今後日本史と世界史が統合して教えられるそうである。いいことだと思う。

 私が今でも何となくおかしいと思っていることの一つに、秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)がある。文禄の役は1592~93、慶長の役は1597~98年である。

 理由として、①秀吉の耄碌説、②秀吉の膨張主義、③家臣団の不満のはけ口、戦国武士団の消耗(兵士を減らす)などがあった。どれも一理あるが、それで16万人もの兵士を動かせるだろうか?当時の人々からみて、それなりの合理的な理由があったはずである。長年の疑問であった。

 ところが最近、当時のアジア情勢、国際政治を考えてみるべきであるという説を何かで読んだ。具体的には、当時世界の8割近くを植民地にしていたスペインの動向である。

 スペインは、先兵としてキリスト教の宣教師を送り込み布教し、ある段階に至ると武力で植民化した。その残虐性は、現在南米に原住民がほとんど残っていないことでも分かる。そこで奪った金・銀・財宝を船で本国に送り、それをイギリスの海賊船が襲ったりした。

 スペイン人が日本に来たのは1549年(ザビエル)である。ポルトガルから鉄砲が伝来したのは1543年。日本人はたちまち同じものを作りあげ、世界一の鉄砲所有国になった。「日本は軍隊の力による制圧は困難」との宣教師の報告書が残っていると言う。スペインは布教活動に注力するようにした。

 このころスペインはルソン(フィリピン)を植民化し、総督府を置いていた。東アジアでスペインの植民地になっていなかったのは明と日本だけであった(朝鮮は明の附属国)。スペインは日本の武力を利用して明を植民化すべく、一緒に明を奪わないかと持ちかけてきたこともあった。しかし、日本は国内統一と治安の回復を優先し断ったと言う。

 しかし、秀吉が日本を平定すると、明をスペインに奪われる心配が出てきた。また、1588年スペインの無敵艦隊がイギリス艦隊に大敗し、イギリス、オランダが台頭しつつあった。

 秀吉は、当然そういう世界の動きは知っていた。決して耄碌していたのでも単なる膨張主義でもなかった。明、朝鮮半島をスペインに押さえられることを恐れた可能性が高い。秀吉の死によって撤兵し、そのあとを継いだ家康鎖国政策に転じ、国内の充実に注力した。


.......... ...........

 
 産経新聞8月3日に法政大学総長・田中 優子さんと東京大学名誉教授・山内 昌之まさゆき) さんの講演録が載っている。お2人は当然のように第一次グローバリゼーションへの対応であると述べておられる。上記の説は突飛なものではなかった可能性が高い。

 私が日本史で習ったこととは全然違う。秀吉の朝鮮出兵にスペインがからむなどとは思ってもみなかった。当時の為政者は世界の動きも睨みながら国を治めていた学ぶほうも当然世界史と連動させるべきである。


以上


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teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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