誰も責任を取らない日本

誰も責任を取らない日本
 週刊ポスト15年8月21-28日号
誰も責任を取らない日本
 八九式中戦車
戦前の反省は生かされているか?
 大本営発表は嘘八百。
誰も責任を取らない日本
(講談社選書メチエ) 1728円 注文していた本が今日入ってきた。楽しみ。




 誰も責任を取らない日本


 週刊ポスト8月21日‐28日号作家の半藤一利はんどう・かずとし)さんの論を抜粋してご紹介します。


 参謀本部が内閣官房になっただけ

 戦前の教訓があるから、日本人は意思決定のシステムを少しは見直すのかと思ったら、70年経ってもまったく変わっていない。

 戦時中、陸軍参謀本部第一部の第二課(作戦)にはエリート中のエリートが集められ、すべての作戦計画はここで立案され、戦争を指導しました。彼らは機密を要求されたこともあって、外部との接触を避け、第二部(情報)からの情報までもときに無視し、いかなる批判にも耳を貸さなかった。

 一部のエリートがサザエの殻のように閉じこもり、「これが日本のためになる最高のプランだ」と考えたことを推進する。戦前は軍部の秀才がそれをしたが、戦後は官僚がそれに変わり、現在の安倍政権では「内閣官房」に変わっただけです。

 このエリート集団に共通しているのは、責任を取らないことでしょう。

 1939(昭和14)年に満洲国軍(日本軍)とモンゴル軍(ソ連軍)が衝突したノモンハン事件では、日本政府の不拡大方針に不満を抱いた関東軍の辻政信、服部卓四郎ら参謀が独断専行して日本軍の惨敗を招きましたが、責任を問われることなく、太平洋戦争の開戦時には陸軍の中央に返り咲きました。参謀本部はまったく反省していなかった。


 ここで思い返されるのが、新国立競技場建設の騒動です。文科省に日本スポーツ振興センター(JSC)、JOC、東京五輪組織委員会、東京都などが、おのおの好き勝手な要望を詰め込んでいくうちに、誰にも止められませんでした。

 世間から猛烈な批判を受けて、ようやく撤回しましたが、新国立競技場建設の主体は文科省とJSCであり、もっとも責任が重いのは明らかです。しかし、下村文科相は辞任せず、官僚を1人クビにして幕引きをはかりました。絵に描いたような〝トカゲの尻尾切り〟、無責任さです。

 
 参謀が意思決定し、トップが責任を取らないというシステムは日本特有のものです。たとえばアメリカ海軍はまったく異なるシステムを取っています。

 米海軍では優秀な人材を少将まで昇格させてプールしておき、何かプロジェクトや作戦が立ち上がるとそこから人材を選んで中将や大将に昇格させます。失敗すると責任を取らせて少将に降格させる仕組みで、またチャンスが巡ってくることもあります。

 真珠湾攻撃で米太平洋艦隊は大打撃を被り、司令長官のキンメル大将は更迭されました。不屈の闘志を見せ、反撃の意思を示して鼓舞していたのがニミッツでした。このテキサス出身の巌のような男は、あまり頭が切れるわけではなかったが、意思が強く人望がありました。そこで海軍は、「ハンモック番号」で26番のニミッツに司令長官という重要な任を与えました。

 ハンモック番号とは軍令承行令のことで、指揮官が戦死したときに誰が次の指揮官になるかで混乱しないように、あらかじめ順番を決めておく制度です。ハンモックを偉い順に吊っていくのでそう呼ぶわけですが、26番というのはかなり後ろのほうで、まさに大抜擢。そして現実にこの人事は大成功を収めました。


 ミッドウェー大敗と新国立は同根

 一方の日本軍の場合、司令長官などを決める際、機械的にハンモック番号の上から順に選んでいきました。
 開戦前に、山本五十六・連合艦隊司令長官ら航空戦力を重視する者たちは、機動部隊である第一航空艦隊を創設しました。

 その司令長官を誰にするかというときに、ハンモック番号で1番だった南雲(なぐも)忠一を選んでいます。彼は水雷の第一人者でしたが、航空戦は素人です。航空戦を熟知し、機動部隊の発案者でもあった小沢治三郎という人物がいたにもかかわらず、海軍は形式的な序列に縛られて、南雲に機動部隊の指揮官を任せたのです。

 南雲は真珠湾攻撃には成功したものの、42年6月のミッドウェー海戦では、戦局が一転するほどの大敗を喫しました。ところが、その責任を負わされたのは指揮官ではなく、下級の幕僚たちだけで、南雲はその後、第三艦隊司令長官の任に就いています。

 日本軍の場合は、責任を取らされて一度降格させられると、キャリアとしては終わりになるので、上層部はお互いに責任を問わないぬるい風土があったのです。敗因を徹底的に分析し、責任の所在を明らかにすることを避けていたわけです。

 これは新国立競技場の問題とまったく同根です。戦後70年たっても、日本人は歴史から何も学ばず、同じことを繰り返しているのです。


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(感想・意見など)

 作家の司馬遼太郎さんは、戦争中は戦車隊に所属していた。先の大戦のことを少しでも知っている人なら日本軍の戦車がおもちゃのようなものであることを知っている。日本は第一次世界大戦にほとんど参戦していないのである程度はやむを得ないが、それでもノモンハンの経験はあった。

 ノモンハンで日本軍は、ソ連軍の戦車にこてんぱんにやられた。本来ならその経験を生かして、戦車や武器の近代化に努めるべきであった。しかし、陸軍はなんとノモンハンの情報を徹底的に隠し、なかったことにしてしまった!教訓が生かされるはずもない。

 司馬さんはノモンハン事件をライフワークとして大量の資料を集めていたが、ノモンハンのことを考えると、なぜ日本人はここまで劣化してしまったのだろうと気分が落ち込み、ついに書くことはなかった。


 十数年前か、陸軍参謀だった瀬島隆三さんに対するインタビュー記事を読んだことがある。インタビュアーが「東条英機首相がミッドウェーの惨敗(空母4隻、艦載機多数喪失など)を知ったのは海戦の2年後くらいだったそうですね。そんなことがありえるのでしょうか」と尋ねたのに対し、瀬島さんは「ありえるでしょうね」と答えていた。インタビュアーが「海軍はひどいですね」と言うと、「ま、陸軍もいろいろありますから…」と答えを濁していた。

 本当なら、国家の体をなしていない。戦争どころでない。敵は内部にあり。両者とも国賊ものである。司馬さんの気持ちが分かる。官僚制の弊害極まれりである。

 少しは教訓を生かして良くなっていると思っていたのだが…。


以上


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プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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