城下図屏風を用いた授業

城下図屏風を用いた授業
 四国15年9月3日
城下図屏風を用いた授業
 産経15年9月4日
城下図屏風を用いた授業
 四国15年9月6日
城下図屏風を用いた授業
 りょう花・冷麺 918円 先日食べた冷やし鶏塩らー麺810円はさほどおいしくなかったが、これはうまい!





 城下図屏風を用いた授業


 私は高松市の中心部で生まれ育った。小学校は○番丁小学校(当時約2400人在籍)、中学校は城■中学校(当時約2700人)であった。現在は少子化と街の郊外展開で廃校になった。

 お(高松城、別名玉藻城)、「兵庫町ひようごまち)」「片原町(かたはらまち)」「丸亀町まるがめまち)」「×番町」は校区内であった。小学校のとき、「兵庫町」は江戸時代に高松藩の武器庫があったためと教わった。兵庫町、片原町と南に直交している「丸亀町」は、第3代の高松藩主が丸亀から商人を呼び寄せたことに由来すると教わった。「番町」武家屋敷であったという。江戸時代は城域がいまよりもっと広かったと聞く。

 以上のように教わったが、具体的に全くイメージできず(なぜ、商店街がお城のすぐそばで、武家屋敷であった番町のほうが遠いの?など)、小学生以来何十年も疑問を抱えたままであった。このほど小学校で県立ミュージアム所蔵の「高松城下図屏風」のレプリカを用いた出前授業が行われたという。たいへんいい試みである。私も授業を受けたかった。

 四国新聞9月3日の該当記事を抜粋してご紹介します。


 江戸のまち並みに興味津々
 県立ミュージアムの「高松城下図屏風」レプリカ
 十河(そごう)小で貸し出し授業第1弾

 
 高松市十川(そがわ)西町の十河小学校で2日、江戸時代前期の高松城と城下町の景観を描いた「高松城下図屏風(びょうぶ)」の教材用レプリカを用いた授業が開かれた。6年生が350年前以上前の高松のまち並みを絵図から読み解き、身分によって住む場所が異なっていた当時のまちの仕組みや人々の生活ぶりに理解を深めた。

 同屏風は、高松藩初代藩主・松平頼重(よりしげ:水戸の徳川光圀、黄門さまの長兄)の時代の城下町を豪華に描いた八曲一隻の屏風。県指定有形文化財で、県立ミュージアムが所蔵している。

 レプリカは貴重な歴史資料を学習教材にしようと、同ミュージアムが本年度に制作し、学校への貸し出しを始めた。黒板に貼りやすくするために、大きさは実際の屏風のほぼ半分に縮小。ホワイトボード用のペンで書き込めるほか、グループ学習に使えるよう絵図を一曲ごとに分割できるようにした。

 講師を務めた同ミュージアム学芸員の御厨義道さんは、武士の屋敷が城の近くに集まり、物を売ったり作ったりする町人の家は堀の外に多くあることを示し、「身分で住む場所が違う『すみ分け』が城下町の特徴だった」と説明。

 児童たちは絵図の道をペンでたどり、武家屋敷周辺は敵を混乱させるため道が複雑なのに対し、町人のエリアは買い物しやすいよう直線の道が多いなど、当時のまちづくりの工夫も学んだ。


以上


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teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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