海外進出パイオニアの苦労

海外進出パイオニアの苦労
 四国15年11月10日
海外進出パイオニアの苦労
 日経15年10月25日
海外進出パイオニアの苦労
 毎日15年10月10日
海外進出パイオニアの苦労
 日刊工業15年10月30日
海外進出パイオニアの苦労
 近所の皇帝ダリアが見事に咲いた。高さ3㍍くらいか。





 海外進出パイオニアの苦労


 四国新聞が「香川のリーダーたち」を連載している。現在は東かがわ市のスワニー会長・三好 鋭郎えつお)さん。東かがわ市は白鳥町しろとりちょう)を中心に手袋の産地で、全国シェア約90%

 (株)スワニーは大手のひとつで早くから海外進出している。グローブ(手袋)のほか、会長自身が小児麻痺の後遺症で足が悪いことから障害者にも配慮したキャスター(旅行の時ガラガラ引っ張る鞄)や車椅子なども開発・製造・販売している。

 国内の別の地域に進出するだけでも大変なのに、ましてや海外では。


 ■四国新聞15年11月10日掲載分を抜粋してご紹介します。


 アジア進出(下)
 100人の中国従業員が材料の上で昼寝


 韓国で3工場体制が整い、生産が軌道に乗ったと安堵したのもつかの間、1980年代に入るとまたも情勢が変わる。
 経済発展などで韓国でも人件費が高騰。進出時、7500円だった従業員の月給は10年足らずで4倍の3万円に跳ね上がった。

 韓国3工場の受注量は毎年2~3割ずつダウン。ついには赤字転落する工場も出た。
 韓国を撤退し、中国に進出する―。決断は早かった。


 ただ、当時、韓国3工場は全生産量の8割以上を担い、抱える従業員は1200人。工場閉鎖は容易ではなかった。
 84年から中国での新工場立ち上げと並行して韓国の工場を順次閉鎖。最後のアジアスワニーの閉鎖は一筋縄でいかなかった

 89年暮れ、工場閉鎖に反対する女性従業員5人が本社に現れ、解雇撤回を求めてきた。徹夜の交渉が続き、本社には400人もの女性たちの支援者が押しかけ、機動隊が出動する騒ぎに。交渉は100日間におよんだ。労働争議と呼ぶにはあまりに過激すぎた

 最後は違約金を支払うことで決着したが、文化の違う異国で事業を行う難しさを痛感した。


 中国では工場の立ち上げに苦心した未知の社会主義国日本の常識はまったく通用しない世界だった。
 江蘇省に「中国スワニー」を設立したのが84年。当時、日本から中国に進出していたのは一部の大手企業ぐらい。江蘇省では日本企業の進出自体が初めてだった。

 工場は中国側との合弁。経営手法や労使関係の考え方もまったく違う中国資本との共同経営。どうにか合弁契約をまとめ、工場は動き出したものの、半年もすると、仕事を放棄し、手袋の材料の上で昼寝をする従業員が続出した。

 「昼寝組」は全従業員の4分の1にあたる100人に上った。監視や勧告などあらゆる手段を尽くしたが、事態は改善せず、工場は初年度から大赤字を出した。

 サボタージュの原因は固定給。給料が変わらないなら仕事はしなくても同じ―というのが昼寝組の発想だった。

 私は取締役会で中国側に昼寝組の解雇を要求。しかし中国側は「解雇はできないのが中国の常識」と応じず、取締役会は紛糾。私は「中国の常識は世界の非常識」と怒鳴り返した。最終的には75人の解雇、歩合制の導入で決着した。

 歩合制の導入で経営は安定し、中国国内では89年に「長城スワニー」と「スワニー手袋」、90年には「太倉スワニー」を設立。日本企業の中国投資の成功例として注目され、工場には中国全土から視察団が相次いだ

 近年、中国でも人件費が高騰しているが、4工場のうち3工場は今も操業を続け、スワニーの手袋製造を支えている。

 いくつもの壁にぶち当たった韓国撤退と中国進出「ここで引き下がったら後がない」。そんな強い思いが困難に立ち向かう原動力だった。


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 ■日経新聞15年10月25日から。


 中国ビジネス、腐敗の現場


 「中国でビジネスをするなら、キックバックは欠かせません。何も無ければ、人は動かない。仕事は永遠にもらえない。ただ、それだけですよ」。部品などの発注のお礼に、月数十万円ものキックバックを担当者に渡す。実際に裏取引に関わる中国人はこう語った。


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 ■毎日新聞15年10月10日「経済観測」欄、大武 健一郎さんのコラムから抜粋。


 将来を見据えられない若者たち


 「よく働いた職員を激励するため、1週間分の臨時ボーナスを支給したら、がんばるどころか翌日から休んでしまった」。カンボジアに進出している日系企業の経営者から、こんな話をよく聞く。

 カンボジア人の多くは、その日に必要な金を稼げばよい、という考え方の人が多いようだ。


 ベトナムでも、大学生が就職する際に次のような話をする。「3年以上先のことは、戦争が起きるかもしれないし、何があるかわからない。だから今、給料がもっとも高い会社に就職する」。


 他方、日本人は十数年単位で将来に備える考え方が一般的だ。しかし、現在はバブルの崩壊を経て、学生の多くは就職時の給料や休日取得などを第一に考えて勤め先を選ぶ。日本人もベトナムなどの人々の考え方に近づいているのかもしれない。


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 ■日刊工業新聞15年10月30日、元韓国サムスン電子常務で東大ものづくり経営研究センター特任研究員・吉川 良三さんの話から抜粋。


 半島や大陸国家は常に他国に侵略される脅威があるためか、腰を落ち着けて研究開発に取り組む姿勢に乏しい。すぐ成果を求める」

 「その点、島国の日本は5年、10年と基礎研究に取り組む文化がある。それがノーベル賞の受賞にもつながっていると思う。これは日本の強みで、中長期目線の研究開発を怠ってはならない


以上


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プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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