5~6世紀ごろの東アジア

5~6世紀ごろの東アジア
 讀賣15年12月16日
5~6世紀ごろの東アジア
 3世紀~6世紀半ばごろ、「伽耶(かや)」には大和朝廷から派遣された軍人、官吏や大和朝廷に臣従した地方豪族がいたとされる。前方後円墳や糸魚川産のヒスイの勾玉(まがたま)などが多数発見されている。
5~6世紀ごろの東アジア






 5~6世紀ごろの東アジア


 現在、讀賣新聞の「時代の証言者」は考古学者の大塚 初重(はつしげ:89)さんである。元明治大学教授、元日本考古学協会会長などを歴任している。

 抜群に面白い。それはそれとして、15年12月16日分を抜粋してご紹介します。5~6世紀ごろの東アジアが舞台である。当時は現在のような「国」の概念はない。そこに留意してお読み下さい。


 古代日本を掘る
 百済の王と同じ鏡 群馬に


 群馬・高崎の綿貫観音山古墳で出土した甲冑(かっちゅう)・馬具・銀製刀子(とうす)などの遺物は「東国」では並外れて豪華でした。日本の古墳発掘で前例のない水瓶(すいびょう)と希少な獣帯鏡(たいじゅうきょう)も出ました。

 発掘3年後の昭和46(1971)年、韓国忠清南道武寧王陵が偶然発見されます。獣帯鏡が出ました。京都大学の樋口隆康先生が「大塚さん、似ているよ。同じ鋳型の鏡ではないか」と教えてくれました。

 《武寧王(462~523)は「百済」の王(在位502~523)。王陵は百済中期の古墳群にあり、墓誌銘で確認された》

 綿貫観音の獣帯鏡の拓本と写真を持って韓国に飛びます。博物館で現物と照合するとぴたり一致します。同じ鋳型なんです。1面が武寧王の墓に、1面は群馬の有力者の墓にある

 数年後、中国山西省の博物館長から連絡が入ります。綿貫観音と同じ水瓶が同省北部で遊牧民・鮮卑の6世紀の墳墓から出たと。

 なぜ群馬の有力者が百済の武寧王と同じ鏡を持ち、中国製と見られる希少な水瓶を持っていたのか

 答えを探るには、大和政権と各地の有力者との関係、さらに東アジアの国際関係を考える必要があります。


 中国は南北朝時代。北朝の「北斉」(550~577)は今の山西省を含みます。鮮卑系の王朝で、百済と親しかった。百済は大和朝廷と結んでいた。日本の各地の有力者は大和朝廷の命令で百済や「伽耶(かや)」を助けるために何万もの兵を朝鮮半島に出していた
 群馬の有力者も派兵したに違いありません。獣帯鏡は百済の王家から直接、あるいは大和朝廷を経て、手にしたんでしょう。

 近年、百済のあった地域から前方後円墳が13、14基出ています。日本で前方後円墳が出現した後のものです。日本と関わりのあった有力者の墓だと思います。
 東アジアはほぼ同じ空気を吸っていたと言えるんです。


 6世紀前後に築造された埼玉・行田の稲荷山古墳で「ワカタケルダイオウ」という金象眼の銘文のある鉄剣が出ました。雄略天皇のことです。埼玉の有力者は朝廷警護に就いていたんです。大和王権と東国の有力者たちの結びつきは強かったんです。

 古代日本は「中央」と「地方」の文化的な差はほとんどなかった。戦後考古学はそのことを徐々に明らかにしてきたんです。「東国」も東アジア全体の歴史の中で生きていた。綿貫観音山古墳はその一つの証なんです。被葬者は間違いなく最有力豪族で大和政権との関係も太かった。

 銅製水瓶獣帯鏡は昭和57年に国の重要文化財に指定されます。

 (編集委員 鶴原徹也さん)


以上


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プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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