ひとの幸、不幸

ひとの幸、不幸
 愛媛15年12月17日
ひとの幸、不幸
 讀賣15年12月16日
ひとの幸、不幸
 愛媛15年11月8日
ひとの幸、不幸
 来年は世界経済は五里霧中。経済誌を沢山買い込んできた。正月休みに読むつもりである。





 ひとの幸、不幸


 ひとの幸、不幸についてよく考える。豊かさゆえの不幸というのも多いようである。


 愛媛新聞12月17日1面コラム「地軸」から抜粋します。


 安心とは何か。スヌーピーでおなじみの米人気漫画の主人公チャーリー・ブラウンが、友達に話す内容が興味深い。「車の後部座席で眠ることさ。前の席には両親がいて、心配なことは何もない」。

 続きがある。「でも、いつまでもは続かない。君は大人になる。すると突然、それは終わる」。安心を享受する側から与える側になるということだろう。


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 しかし、その切り替えに失敗している人をしばしば見かける。ひとつには豊かさゆえに可能性があり過ぎることがある。貧しければ、何であれ働かざるを得ない。

 
 讀賣新聞12月16日の「人生案内」青森県のD子さんは典型である。ご紹介します。


 20代フリーターの女性。人生の先行きが見えません。
 大学を卒業してもう2年たちます。就職活動は途中でやめて地元に帰ってきました。

 就活をやめた理由は、大学を卒業したら就職するという考え方に違和感を覚えたからです。やりたい仕事もなく、実際に就活をしていく中でとても窮屈に感じてしまいました。

 今は地元でアルバイトをしながら、色々な資格の勉強をしています。学生時代は勉強が嫌いでしたが、今はなぜか楽しく感じます。
 しかし、特定の職業に就くために勉強しているというわけではありません。

 両親には、「公務員試験を受けてみたらどうか」と勧められました。いつかは定職に就かなければとは思っていますが、公務員になることを考えたことはありませんし、必ずしもなれるとも限りません。

 両親の勧めるように公務員試験を受けるべきか、あるいは就活をやり直すべきかで悩んでいます。自分が本当にやりたいことが何なのか分からず、焦れば焦るほど不安になります。


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(感想・意見など)

 私などはこの歳になっても、自分が本当にやりたいことが何なのか分からない。本や新聞を読むのは好きであるが、それが仕事として成り立つかどうかは別である。多くの人がそうではないか。

 私は高校生時代に家族5人の内3人が病気になったため、大学は自力でいった。家からSOSが入ったら退学もしくは休学して高松に帰るつもりであったし、就職したらほとんど自分の時間が持てないことは分かっていたので、勉強もそれなりにした。

 アルバイトも20種類くらいしたが、本当に嫌だったのは1種類か2種類で、打ち込めばそれなりに面白かった。主体的に取り組めば興味も湧いてくる。
 
 あきらめなければならないことは多く、それは今でも尾を引いているが、働くこと自体は苦にならなかった。もう1人病気になったら洒落にならないので健康には留意したが、自律して自立した生活は今も1つの理想である。


 先の相談の回答者の山田 昌弘教授もこう言っている。「やりたいことを待っていても天から降ってくるわけではありません」「まず、あなたの生活は親のサポートによって成り立っていることを肝に銘じてください」「やるべきことは自立への道です


 すべてが「自分、自分、自分…」。すべて「虫の目」(部分)で見ている。ときには「鳥の目」(全体、鳥瞰)、「魚の目」(流れ=トレンド、歴史)で周りを見渡してみるべきである。


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 70年前、20歳前後の多くの若者が、家族のため、国のために、特攻隊となって散っていった。硫黄島では、1日でも米軍による日本本土爆撃を遅らせるため、徹底抗戦した。

 戦前・戦中・戦後もしばらくは貧しく、兄弟が多く、病気の親や弟妹のために苦界に身を売らざるをえなか女性は多かった。現在、韓国人慰安婦が問題になっているが、当時彼女らは日本人であったし、本来の日本人も4割はいた(その他の国の人も)。それほど特別なことではなかった。

 それらを思えば、多くの場合、現在の自分がいかに恵まれているかが分かる。


 東日本大震災で津波で家族を亡くした女性2人が同じようなことを言っていた。1人は看護師、もう1人は介護士である。

 「仕事があるので助かっている。多くの人と交わり、仕事は誰かのためになり、仕事をしていると次々とやらなければならないことが出てくるので、家族を亡くしたつらいことを忘れられる」

 これは本当である。もし、可哀そうだということで、上げ膳据え膳で何もかも他人がすると、本人は亡くした家族のことばかりをグルグル考えて、最後には自死しかねない。地獄である。

 もし、馬車馬のように身を粉にして働いている人がいたら、その人はつらいことを忘れるためにそうしているのかもしれない。


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 愛媛新聞11月8日蔦 信彦さんが書いた『日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた』(KADOKAWA)を作家の中田 整一さんが評したものを抜粋してご紹介します。


 満州からシルクロードのウズベキスタンの首都タシケントに送られた捕虜たちが、オペラハウスを建てた。ソ連の四大劇場の一つとされたナボイ劇場である。

 1966年、タシケントを襲った直下型大地震にもビクともしなかったことで、建設の仕上げに携わった日本兵のことが想起され人々に称賛の声があがったという。

 ナボイ劇場の建設に関わったのは、満州の旧陸軍航空部隊の永田行夫大尉を隊長とする第4ラーゲリ(収容所)の457人の工兵たち。

 武器を捨てた抑留者たちは、2年後の劇場完成を目指して日本人の技術、勤勉、団結力など、その力を最大限に発揮して懸命に働いた。日本兵はシルクロードにオペラハウスという後世への文化遺産を建設したのだ。

 
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(感想・意見など)

 ソ連は旧満州などの約60万人の日本軍将兵・民間人をシベリヤなどに抑留し、強制労働をさせ、約6万人を飢えや寒さ、ソ連兵による銃撃などで死亡させた。国際法違反である。

 ソ連の抑留、強制労働という理不尽な扱いに多くの旧日本軍将兵が耐えられたのは、仕事に真剣に打ち込んだからである。オペラハウス建設を意義あるものと見なし、団結して真剣に打ち込むことによって、精神の平衡を保つことができた。

 かなり昔に読んだ本によると、ロシアでは、1つの穴を掘らせ、次にその穴を埋めさせる、ということを延々と繰り返させる刑があったという。早いものでは1週間で発狂するという。


 人は、意義ある仕事に真剣に打ち込むことによって救済されることもある。


以上


 

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プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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