戦前・戦中・戦後の花街

戦前・戦中・戦後の花街
 讀賣16年1月7日
戦前・戦中・戦後の花街
 植村隆氏 朝日新聞にはソウル支局員もいるのに、なぜ大阪社会部の植村氏がわざわざ韓国まで出かけて誤った記事を書いたのか?妻は韓国人。義母・梁順任(ヤン・スンイム)氏は太平洋戦争犠牲者遺族会会長だったが、多くの人から集めた金を持ち逃げしたとして裁判沙汰になった。
戦前・戦中・戦後の花街
 松井やより氏
戦前・戦中・戦後の花街
 福島瑞穂氏
 高木健一弁護士と組んで韓国で慰安婦訴訟の原告を募集し、報道機関に売り込み、日本政府と韓国政府が和解した後も国会で質問し、騒ぎを大きくした。松井やより氏と組んで元慰安婦の証言のうち日本に都合のいい証言は封殺したことも分かっている。金融資産2億5千万円(国会議員№2)。
戦前・戦中・戦後の花街
 本多勝一氏(襲われることを恐れて変装しているらしい)
 南京大虐殺記念館には「本多勝一先生」のコーナーがあるという。
 14年10月26日ブロブ「売国奴 本多勝一」を見てください。
戦前・戦中・戦後の花街
 (WAC) 1728円
 在籍53年の超ベテラン記者がこの本を書くために「朝日」を辞めた。
戦前・戦中・戦後の花街
 ニューズウイーク日本版16年1月12日号
 いろいろ読んだが、このNWが秀逸。それにしても中国株の大幅下落、サウジアラビア‐イランの断交、北朝鮮の水爆?実験などにより東証はじめ世界の株価は5日続落。凄まじい年明けとなった。
戦前・戦中・戦後の花街
 ロウバイ





 戦前・戦中・戦後の花街


 現在、読売新聞「時代の証言者」は、美輪 明宏(みわ・あきひろ)さん。1月7日分は当時の花街(はなまち・かがい)の雰囲気をよく伝えていると思われる。抜粋してご紹介します。


 大人の秘め事とともに


 生まれ育った繁華街は、長崎・丸山花街の入り口にありました。隣が劇場の「南座」で、前は楽器屋さん、2軒先は美術骨董屋さん。ありとあらゆる美があふれていました。

 《江戸時代、丸山は、江戸の吉原、京都の島原と並ぶ日本3大花街の一つ。海外貿易の発展で栄え、遊女たちは唐人・出島オランダ屋敷への出入りが許され、海外にも知られていた》

 劇場では、大歌舞伎から大衆演劇まで様々な芝居をやっていました。一幕終わると幕をまくり上げ、虚構の世界の裏にある現実の姿をどきどきして見ていたのです。しとやかなお姫様が、幕が下りた途端、大またで勇ましく奥へ消えていくのですから、びっくりです。

1930年代は映画の黄金時代。フランス、アメリカ、日本の名作を見ることができました。

 骨董屋さんには狩野探幽の掛け軸があったり、カフェーには、竹久夢二や高畠華宵(たかばたけ・かしょう)の美しいポスターが何気なく貼られていました。良い時代に生まれ育ったと思います。もっと早く生まれても遅く生まれても、戦前・戦中・戦後の文化を比較することができなかったでしょうから。

 文字を教えてくれたのは、実家のカフェーで働く人たち。いわくありのインテリが多かった。日本人だけでなく、ロシア人や中国人、朝鮮人、ハーフの方もいて、皆仲良く働いていました。

 のちに、三島由紀夫さんから「君は九州の田舎者なのに、卑屈なところがないのはなぜだい」と聞かれたことがあります。私、返しました。「何言ってるんですか。東京にペンペン草が生えていた頃、長崎は既に国際都市。平賀源内をはじめ多くの人が勉強に来たんですからね」って。

 水商売の環境で3歳から大人扱いされて育ちましたから、大人の間のスキャンダルや秘め事が自然に耳に入ってきました。農村から連れられて来た純朴な娘がお母さんと泣き別れをする、出入りの呉服屋と逃げた舞子さんが捕まって、ひどい仕打ちに遭う、そんな修羅場を見ています。カフェーに来るお客の酔態を見て、昼と夜の顔の違いもわかりました。

 世の中には、貧富の差があり、笑う者も泣く者もいる。見えるものを見ない、見えないものを見る……。そういう癖がつきました。
 (編集委員 長峰好美さん)


.................................................................................................................


(感想・意見など)

 いい悪いではない。事実である。私も商店街で育ったので少しは分かる。夜になると、少し離れた裏長屋を出たところに女の人や女まがいの人(おかま)が立っていた。小学校・中学校で親がそういう商売をしているのではないかと思われる同級生が何人かいた。差別などはなかった。タイヘンダナーという思いはあった。昭和30年代まではそういうことはふつうにあった。

 1910年に日本は韓国を合法的に併合した。欧米諸国も歓迎した。地政学的には重要な場所で、世界の不安定要因が減るからである。それまでの朝鮮半島は何もない半古代国家であった。清についたりロシアについたり日本についたり、フラフラフラフラして、権力闘争ばかりしていた。日本は国家予算の2割をつぎ込んで近代化に努めた。朝鮮総督には元首相やのちに首相になった第一級の人物を充てた。

 それでも、昔ほどではないが、貧しかった。最初に元慰安婦だと名乗り出た金○○さんは母親に40円でキーセンとして売られた。ありふれた話であった。詐話師の吉田清治が言うように「強制連行」など無理をする必要はなかった。朝鮮人社会でそういうシステムが出来上がっていた。豊かになった現在の韓国でも、韓国人売春婦は世界中に溢れている。

 1992年に文××さんが名乗り出て、軍事郵便貯金の払い戻しを請求した。郵便局が過去の記録を調べたところ残高は2万6千円余であった。そのころ東京では5千円で一軒家が買えたという。文さんが何年間か苦界に身を沈めた代償が家5軒分の貯金である。彼女らは大金持ちであった。それを元手に成功した人たちも沢山いるはずである。そういう人たちは当然黙っている。


 そういう事実があったにも拘らず、吉田清治の「強制連行」の詐話を広め、それでなくとも「ゴネ、イチャモン、タカリ」の韓国国連人権委員会に持ち込み、事実を歪めたのは朝日新聞や岩波書店など、一連の日本人たちである。

 新聞記者では、元朝日新聞記者の植村隆氏や松井やより氏など、弁護士では高木健一氏、福島瑞穂氏、戸塚悦朗(*)氏など、学者では中央大学の吉見義明教授などである。

 事実なら立派な行為である。しかし、事実ではない。売名のためか、金のためか、動機は不明であるが、事実ではないことを知りながら熱心に活動している。事実を語る者を弾圧している。迷惑至極である。

 そういえば、最近も、伊藤和子という弁護士が「日本の女子学生の13%が援助交際をしている」という根拠不明の話を国連人権理事会に吹き込んだ日本政府の抗議で国連側は撤回したが、国連も極めて軽率だと言わざるを得ない。


 わけの分からない日本人も多いが、最も軽蔑すべきは長年嘘と知りながら訂正も謝罪もしなかった朝日新聞社である。朝日新聞元主筆の若宮啓文(よしぶみ)氏は単なる「勇み足」と言い、朝日新聞は14年8月5日に30年以上を経て「虚偽であった」と認めた

 しかし、問題の本質は多くの女性が軍の慰安婦になっていたという「人権侵害」にあり、これについては今後も追及を続けていくと論点をすり替え、居直っている

 朝日新聞は韓国では「最も良心的な新聞」で通っている。それはそうであろう。彼らの最も好きな「ゴネ、イチャモン、タカリ」のネタを与え続けてくれる。日本はその度に兆円単位をむしり取られる。韓国や中国(昔は北朝鮮も)にとって、こんなに都合のいい新聞社はない。現在の日韓離反のネタの多くは朝日新聞が作った中国共産党が彼らの腐敗を隠し、求心力を高めるための「反日」の根拠を朝日新聞は与え続けている(中国共産党のプロパガンダに最も貢献したのは元朝日新聞記者の本多勝一氏)。


 長谷川 熙(ひろし)さんの『 崩壊 朝日新聞 』を是非お読みください。


 (*)戸塚悦朗氏本人が言っていることであるが、日本の悪い点を色々国連人権委員会に吹き込んだが、国連が唯一食いついてきたのが「慰安婦=性奴隷」説だったという。


以上


コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

最新記事
カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
最新トラックバック
リンク
カウンター