ポーランド孤児救済の話

ポーランド孤児救済の話
 日経新聞16年1月25日
ポーランド孤児救済の話
 日経新聞16年1月24日
 多くの新聞は日本は難民に冷たいと書くが、右側「難民を助ける会」会長の柳瀬房子さんは「『難民』と定義できる人が少ないのが実態」「500人以上と話してきて私が難民と見なしたのは、10人にも満たない」「申請をする人たちのほとんどは、働く場所を求めて日本にやってきた人たちだ」と言う。難民審査参与員の吹浦忠正さんも同様のことを言っている。それが実態のようである。左側の東大客員研究員の三浦瑠麗さんは、政治的に「1万人受け入れ宣言」をすべきだと言う。
ポーランド孤児救済の話
 椿




 ポーランド孤児救済の話


 陸続きの大陸諸国の歴史は過酷である。非武装中立など寝言でしかない。特にロシアやドイツなどの強国に挟まれた東欧諸国の歴史は悲惨を極める。その東欧の中でもとびきり親日的な国がある。ポーランドである。

 理由のひとつは、当時世界最強の陸軍を有し、自分たちを圧迫していたロシアを、東洋の小国日本が日露戦争で破ったことである。もう一つは、シベリアをさまよっていたポーランド孤児たちを日本が救ったからである。

 約100年前、ポーランドは領土を分割され国家が消失していた。独立闘争のポーランド人志士たち約5万人はシベリアに流された。また、第一次大戦やロシア革命を逃れてきたポーランド人数十万人がシベリアをさまよっていた。飢えと寒さ、略奪などでさながら地獄絵図のようだったという。せめて子供たちだけでも助けようということになり各国に声をかけたが、それに応えたのは唯一日本だけだった。

 朝日新聞や毎日新聞、共同通信などは戦前の日本は悪いことばかりしていたように書くが(そのくせ戦前自分たちは戦争を煽って儲けていた)、それは事実ではない。

 日経新聞1月25日「文化」欄に福田(ふくでん)会常務理事の土屋 学さんがその模様を書いている。抜粋してご紹介します。


 孤児救済 よみがえる絆
 ◇ポーランドの子ども救った養護施設 世紀を越え交流再開◇


 約1世紀前のロシア革命後の混乱期、シベリアにいたポーランド人の子どもたちが日本によって救われた。当時、シベリアにはロシア帝政時代にとらえられた政治犯の子孫や第一次世界大戦の戦火を逃れたポーランド人が多数暮らしていた。

 革命後の内戦などで親を亡くした孤児は祖国に戻るすべもなく、窮地に陥っていた。ウラジオストクで結成されたポーランド救済委員会の救援要請に唯一応えた国が日本で、外務省と日本赤十字社が、いくつかの日本の施設に子どもたちを受け入れた。


 375人を受け入れ

 1920(大正9)年と22(大正11)年の2回にわたり1~16歳の計765人の孤児が来日し、東京と大阪に1年ほど滞在。その後全員が無事祖国にたどり着いた。第一陣の375人を受け入れたのが、東京・広尾にある福田(ふくでん)会育児院、現在の社会福祉法人・福田会だ。

 福田会が発足したのは今から140年前。仏教諸宗派が合同で貧窮孤児らを救済するため1876年に設立し、79年に仏教系では日本初の児童養護施設を開設した。

 私が孤児の話を詳しく知ったのは2010年。当時、当会では孤児を救った逸話はほとんど忘れられていた。ところがひょんなことからポーランドとの絆が再びよみがえる。

 きっかけは、日本語が堪能で能楽にも造詣が深い駐日ポーランド大使(当時)ヤドヴィガ・ロドヴィッチ=チェホフスカ氏からの連絡だった。当会の近くに住んでおられ、日曜朝の散歩途中でたまたま「福田会」の看板を見つけて、翌日連絡してこられたという。

 彼女は以前から福田会と孤児の話を知っていた。ポーランドに帰った孤児たちが日本で受けた恩を忘れられずに語り継いでいたからだ。02年、天皇・皇后両陛下がポーランドを公式訪問され、高齢になった3人の元孤児とお会いになった席にも彼女は立ち会っている。


 駐日大使が橋渡し

 90年前、窮地の孤児が身を寄せた福田会が今もあることに彼女は驚いた様子だった。話は本国に伝わり、互いに機会があれば交流を深めたいと話していた。実現したのは、東日本大震災の12年4月。被災地を見舞うため、来日したアンナ・コモロスカヤ大統領夫人が当会も訪問され、「シベリア孤児救済事業完了90周年」の記念プレートを贈ってくださった

 当時の会報や新聞を見ると、孤児たちが歓待を受けた様子が詳しく書かれている。献身的な看護や温かいもてなしを受け、来日当初は飢えて体力が衰えていた孤児たちも皆、元気を取り戻した。

 日本では官民を問わず多くの支援が寄せられ、1921年3月には大正天皇の后(きさき)貞明皇后が行啓されている。日本舞踊や演劇、映画などの会が催されたり、日本人の子どもたちとの交流会が開かれたりした。

 その後、彼らは同国で「極東青年会」という組織を結成する。冷戦終結後、再び、日本による孤児救済の美談は広まっていく今では元孤児の存命者はいらっしゃらないが、子孫や関係者が絆を今もつないでいる


以上


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teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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