江戸期の幕府機能分散

江戸期の幕府機能分散
 週刊東洋経済16年2月13日号
江戸期の幕府機能分散
 歌川広重「飛鳥山北の眺望」
 徳川吉宗は庶民の娯楽のために飛鳥山に桜を植えた。
江戸期の幕府機能分散
 今日の香東川堤防沿いの早咲きの桜。
江戸期の幕府機能分散
江戸期の幕府機能分散
 今日のマック香西店。来店者の過半が生徒・学生。何十人もが勉強していた。
江戸期の幕府機能分散
 隣の女の子に聞いたら香川大学生だとか。学校の図書館が一杯で、高松市中央図書館は自習させてくれないので、ここに来たとのこと。




 週刊東洋経済2月13日号作家・童門冬二(どうもん・ふゆじ)さんのコラムを抜粋してご紹介します。


 江戸期の幕府機能分散


 文化庁が京都に移転するかも、という報道があった。考えてみれば江戸時代の政府(幕府)機能は、歴史的必然から江戸集中ではなかった。皇室機能と文化機能は京都にあり、財務機能と通産機能は大阪(当時は大坂)にあった。外務・貿易機能は長崎にあった。すべて現場との直結による分散だ。

 三代将軍・徳川家光の時代に参勤(大名が江戸城に勤めること)交代(任期の終わった大名が領国に戻ること)が制度化された。同時に人質的に江戸に住まわされていた、大名の正妻と世子(せいし:次期藩主)の江戸居住が義務化された。

 大名家(藩)では江戸に藩邸を構え、江戸勤務の家臣・侍女などが増え、必然的にこの世話をする商人・職人が必要になった。幕政初期のころは幕府機能が分散していたから、江戸での必要機能は現在の内閣府・官邸・総務省あたりがあれば、幕政は滞らなかった。


 それが、町人(商人・職人など)が激増した。江戸がにぎわい始めると、地方の特に若者たちが雇用の創出を狙って、「江戸に行けば何とかなるさ」とクワを放り出して流入してくる。やがて、〝百万都市〟と世界一の人口に達した江戸は、その半数が町人だといわれるまでになった。

 
 膨張した町人を正規に政治と行政の対象にしたのは、八代将軍の徳川吉宗

 現在の東京銀行協会ビル(千代田区丸の内)の敷地には、江戸時代は評定所(幕府の最高裁判所)があった。吉宗はこの門前に「目安箱」を設置した。投書箱である。目安というのは羅針盤のことをいう。今の民主主義に即結び付かないとは思うが、吉宗は「建設的な意見は幕政に反映させる」という気持ちは持っていたのだ。

 東京都の老人福祉センターに発展する「小石川養生所」の創設などは、目安箱に投じられた町医者・小川笙船(しょうせん)の意見によるものだ。

 吉宗の手足として、積極的に「よい意見」の実施に努力したのが、江戸町奉行の大岡越前守忠相(ただすけ)だ。江戸町奉行の職責は、今でいえば都知事・警視総監・消防総監・東京地方裁判所の所長まで兼ねている。大岡はそのほかにも吉宗の特命で「関東地方のコメの増反」まで担当させられている(吉宗はコメの増産に熱心だったから〝米将軍〟と呼ばれた)。

 
 こうなると幕府の機能分担がしだいに変化してくるのはやむをえない。現場機能はそのまま据えられるにしても、判断・決定機能は江戸城に集中してくる。

 大阪の一手販売だった商業も、日本橋に集中した江戸店(江戸支店)が、やがて江戸本店になる。商人を最大の支持者(スポンサー)とする芸術・芸能などの文化も、江戸で盛んになる。江戸への一極集中によって、やがてはこれも大阪のパテントといってよかったコメの集配まで、江戸行われるようになった(蔵前)。


以上



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teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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