家康公の夢②

家康公の夢②
 週刊朝日16年3月11日
家康公の夢②
 四国新聞16年3月6日
 中国は国防費をどんどん増やし、南沙諸島、西沙諸島を勝手に軍事基地化している。
 北朝鮮はどんどん核開発を進めミサイルの射程距離を伸ばしている。
 日本には未だに「非武装中立」を唱えている政党がある。それでいいのか?
家康公の夢②
 BRUTUS16年3月15日号
 秋田犬のわさお君を見るたび郷土の大先輩・大平正芳元首相を思い出す。
家康公の夢②
 3日ほど前から、目はチカチカ、鼻はムズムズ、くしゃみが止まらない。花粉症である。
 去年はあまり花粉が飛ばなかったのか、医者にはかからず、パブロン鼻炎用カプセル(下:大正製薬)でしのいだ。
 今年は、常備薬のパブロンゴールド(総合かぜ薬:上)が使用期限切れとなったのでこちらを服用したら、それなりに効いている。





 家康公の夢②


 いつの時代も偃武(えんぶ:武器を伏せおさめて用いないこと。戦争がやんで平和になること)容易なことではない。戦勝に功あった自軍の将兵にはそれなりの褒賞が必要だし、敵軍の将兵をどうするかという問題もある。平和になれば、功績のあった自軍の将兵でさえリストラせざるを得ない。不満が溜まる。非常に困難なことである。

 例えば毛沢東、朝鮮戦争に主として政敵の軍隊を中国義勇軍として参戦させ、後ろから督戦隊にバリバリ機関銃を撃たせて、国連軍が敷いた地雷原を突破させたという。毛沢東にしてみれば、政敵の力を削ぎ、国連軍に打撃を与えることができ、一石二鳥である。

 鄧小平も、中越戦争(越=ベトナム)で主として旧国民党軍を用いたといわれる。勝てばよし、負けても食い扶持を減らせ、反乱の恐れも減る。人命など毛ほどの重みもない。

 古来、そういう例は多い。国内の内部矛盾、溜まったエネルギーを対外戦争に打って出ることによって解消しようとする。近隣諸国にとっては堪ったものではない。現在の中国・朝鮮の反日はそういう側面がある。

 では、家康公はどうしたか?
 私にとっては、思いもよらぬことであった。


 週刊朝日3月11日号に徳川宗家19代目・徳川家広さんがその答えを書いている。抜粋してご紹介します。


 400年後にみのった家康公の夢
 平和のために日本の人口を東へ移す大戦略を実行した


 日本の民衆は、豊臣秀吉から「人はどこまでも出世出来る」ことを学んだ

 身分固定による身分保障を通じて恒久平和すなわち永久政権を目指す徳川家康にとって、これだけでも頭の痛い話である。もう一つの問題が、唐入り、朝鮮出兵の後始末だった。

 朝鮮王国との和解自体も面倒臭かったが、さらに問題なのは、朝鮮で戦った武士たち、さらに海を越える形で動員された農民たちに「明も朝鮮も日本と比べれば弱体である」という認識が広がったことだった。

 朝鮮は陸軍を明に頼り切っており、その明は兵士の戦闘力が日本兵の10分の1という体たらくだった(薩摩兵にいたっては、明兵100人分の戦闘力だった)。

 日本から朝鮮半島へ渡った総兵力は20万人。そのうち4、5万人が戦闘、病気、事故などで死亡している。当時の日本の人口は1200万人強だったが、戦闘に参加したのは西日本の大名たちだけ、そして西日本のほうが人口が多かったから、母集団は800万から1千万人ということになる。一つの村から少なくとも一人は戦争へ行った計算。

 そして帰還した武士たち、戦場から故郷の村へと戻った農民たちは、負け戦についてどう語ったであろう?
 「敵兵は弱い」 
 「もう一度、不退転の決意で臨めば勝てる」

 つまり平和主義は少数だった。徳川家康は、西日本全域に広がる戦争願望、反中・反朝鮮の感覚と闘わなくてはならなかった


 これに対して、家康は日本史上空前の策でもって応じた日本の人口を東へ北へと移すという「大工事」がそれである。中国や朝鮮から距離を増し、目を違う方向へと向けさせる。

 また、倭寇の、ひいては水軍の人材供給源だった半農半漁の貧しい民衆を「転職」させるために、日本各地の沿岸部で大々的な埋め立てを行った

 戦国・織豊時代と江戸時代とで、日本社会が突然変わったと感じさせられるのは、実はこの点だ。

 徳川政権が出現するとともに、倭寇が消滅してしまった。京都を上回る大都会、のみならず同時期における世界最大の都市としての江戸という異様な現象も、人口の東方移動という倭寇の再発防止、中国、朝鮮との接触の減少という大戦略の文脈を考えるとわかりやすくなる。


 さて、自らが世を去って400年目の日本を見た徳川家康の霊は、さぞや喜んだであろう。

 今では日本の人口はわずかながら新潟、長野、静岡までの東半分が、それ以西を上回っているからである。秀吉の唐入りの記憶が希薄な東日本が多数派となったことで、現代日本としては近隣諸国と良好な関係が築きやすくなった。

 戦国の余燼の冷める間もない1615年に宣言された「元和偃武(げんなえんぶ)は未来志向の宣言だったが、400年を経てやっと完成したのである。


以上


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プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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