文革の一例

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 毎日新聞16年5月17日
文革の一例
(追加) 日経新聞16年5月18日
 現在の中国共産党にとっても「文革」は悪夢。
文革の一例
 麦秋(米、麦の二毛作はせいぜい1割程度か)。
文革の一例
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 本日Eテレ「知恵泉」(22時~)はイザベラ・バード。私は彼女の大ファン。漫画にもなるし、テレビでも紹介されるし、いよいよ彼女の時代がやって来た!?





 文革の一例


 今年は中国「文化革命」から50年ということで新聞各紙が特集記事を連載している。毛沢東は1958年からの「大躍進」に失敗し、失地回復を狙って「文化大革命」を仕掛けた。この間約20年。殺害された者、餓死した人は5千万人とも7千万人とも言われる。また「革命」を他国に輸出しその犠牲者は数百万人と言われる。毛沢東の罪は重い

 毎日新聞5月17日の「文革50年の中国」にその一例が載っていた。抜粋してご紹介します。


 名門校 教員リンチ死
 罵声浴びせ、重労働を強制


 文化大革命中の1966年8月5日、「北京師範大付属女子中学校」(当時)で、女性の副校長が女子生徒のリンチによって殺される事件が起きた
 同校は北京有数の名門校。幼少からエリート教育を受けた党や軍の高級幹部の子女が多かった。

 6月1日、突然、校内放送が始まった。人民日報の社説「牛鬼蛇神(諸悪や悪人)を一掃せよ」が読み上げられた

 翌日以降、校内の壁一面に「大字報」と呼ばれる壁新聞が張られ、生徒が学校の管理職を批判するように。授業は成立しなくなった。

 当時の劉少奇・国家主席らは、臨時管理組合「工作組」を北京の各校に派遣し、混乱を収拾しようとした。だが、それも毛沢東が7月に工作組を撤収させるまで。劉少奇は「走資派」として失脚した。「秩序の真空状態」となった学校で、幹部子女らが「我々が人民の敵と闘う」と宣言し、政治運動は暴力性を増した


 8月5日、副校長ら管理職5人の批判大会が始まった革命の敵である「黒幇(悪人グループ)」として5人は運動場にひきずり出された。管理職の最上位は、校内の党組織トップの卞仲耘(べん・ちゅううん)副校長(当時50歳)でいちばんの標的になった。

 管理職5人は生徒の罵声を浴びながら、運動場で土砂を延々と運搬する重労働を強制された。幹部子女を中心に、生徒が木材や金属のバックル付きのベルトで殴り始めた。凶器に使った椅子や机の脚には、くぎが残っており、管理職の服が血に染まった

 「私は『黒幇』ではない」。副校長が否定すると、ある生徒が「これで真っ黒だ」と墨汁を頭からぶちまけた
 (べん)氏は便所掃除のモップをすすいだ汚水を飲まされ、力尽きた。用務員が卞氏を手押し車で運び、炎天下の校庭に放置した。誰もが後難を恐れて見て見ぬふりをした

 午後5時近く、校庭の隅に手押し車を見つけた。近づくと卞氏が車の上で意識を失い、大小便を垂れ流していた。日が暮れたころ、一部の教師や生徒が卞氏を病院に搬送したが、午後9時に死亡が確認された

 この事件は文革を代表する暴力事件として人々の記憶に残った。


以上


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teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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