暴支膺懲

暴支膺懲
 週刊新潮16年1月28日
暴支膺懲
 (岩波書店)
暴支膺懲
 1937年の「通州事件」を報じる東京日日新聞(現 毎日新聞)
暴支膺懲
 同上の讀賣新聞
暴支膺懲





 暴支膺懲


 暴支膺懲(ぼうしようちょう)とは「暴虐な支那を懲らしめよ」という意味。

 私のライフワークのひとつは、先の大戦をどう見るかというものである。はっきりしているのは、日本も含め、全面的に正しいと言える国は一国もないということ。戦争が起きる原因は複雑である。どういう面を見るかでその評価は大きく変わってくる。

 当時の中国の状況は、軍閥割拠による事実上の無政府状態で、条約を結んでも守られず、居留民への暴行・略奪が繰り返し行われていた中国の軍隊というのは、古来から略奪と虐殺を行う匪賊にすぎない。今の人民軍もそういうところが残っているらしいが、将は兵の給与をピンハネしている。その額が少ないと危険な任務を与えられ死の危険性が増すという。

 例えば、1938年6月11日夜、蒋介石は日本軍の進軍を阻止するため黄河の堤防を破壊し、4千の村が水没し、水死者100万人、その他の被害者600万人という大惨事を引き起こした。彼らにとって人民というのは虫けら同然。

 中国の各メディアは「日本軍の暴挙」として宣伝したが、外国人記者に見破られた。

 日本軍は、中国住民の救済、治安維持、復興などに取り組んだ。中国住民は驚き、日本軍を熱烈歓迎した。このようなことは、秀吉の朝鮮出兵の際も見られたという。統率がとれ、略奪や悪事を行わず、住民を救う軍隊というものを、中国人や朝鮮人は初めて見た。朝鮮では、自分たちを虫けらのように扱っていた王たちを追い出し、城の門を開いて、日本兵を歓迎したという。


 日中戦争の発端となった1937(昭和12)年の盧溝橋事件にしても、現在では共産党の劉少奇が、日本軍と国民党軍を戦わそうとして、双方を銃撃したとする説が有力になっている。ソ連や毛沢東軍などコミンテルンの謀略も見逃せない。


 ともあれ、盧溝橋事件、通州事件(つうしゅう)ごろから日本では「暴支膺懲」が声高に叫ばれるようになり、朝日新聞などマスコミも大いに煽り、軍国主義に突き進んだ


 中国軍、中国人がどのようなことをするか週刊新潮16年1月28日高山正之さんの「変見自在」を抜粋してご紹介します。


........... ..........


 もう半世紀も前、羽田の記者クラブにいたころ、日航、全日空の古参機長から昔話を随分聞いた。

 日航には真珠湾攻撃に参加した藤田怡与蔵(いよぞう)がいた。真珠湾の帰途、追いかけてきた米軍機を撃墜し、さらにミッドウエー海戦では来襲した米軍機を10機まとめて屠(ほふ)っている。

 同じ日航には広東攻略戦に参加した後藤安二がいた。聞いた話が凄かった。敵陣に爆撃を加えて帰投中、仲間の機がエンジン不調で水田に不時着した。

 間もなく間諜から彼が支那人に捕まり、木箱詰めにされたと知らされた。
 彼らはペンチで歯を抜き、逃げないように手足の指を切り落として鉄格子のはまった小さな木箱に押し込める。それで町々で晒し者にする。最後に耳鼻を削いで目を抉り、男根を切って口にくわえさせてから殺すのが形だった。

 「木箱を移送する列車を確認して出撃した彼の苦痛を終わらせ、安らかに死なせるためだった

 似た話を当時の全日空常務、山口登から聞いた。中華航空上海支社で飛んでいたころ、仲間が満州で不時着した。後援部隊が駆けつけたとき「彼は首まで地面に埋められ、耳も鼻も削ぎ落とされ、両眼に針金が通されていた。救出して間もなく死んだ」。

 因みに山口はパレンバンに「空の神兵」を運んだ操縦士の一人だった。


 支那人の残忍さに当時はうなされたものだが、彼らの残忍さがそんな程度でないことを楊海英の『墓標なき草原』で知った。

 文革期、毛沢東以下の支那人が内モンゴルを侵略し、本気でモンゴル人絶滅を図った。淘汰の手段として彼らは女性器の破壊をやった。抉り取って殺すか、二度と産めない体にするか。

 同書にはジュンガルの女性が犯され、女性器に棒を突き立てられた姿で「自殺した」と家族に引き渡された話や、素手で胎児を引き出す拷問も描写されている。


................................................................................................................


(感想・意見など)

 1937年の「通州事件」、1946年の「通化事件」をネット検索してみてください。


以上


コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

最新記事
カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
最新トラックバック
リンク
カウンター