文革50年

文革50年
 産経新聞16年5月22日
 中国の中学生用歴史教科書は、あったかどうかも分からないいわゆる南京事件には写真などを多用して17㌻をさいているが、文革はわずか3㌻余り。しかも、中国共産党の指導で文革を終わらせたという部分が半分以上を占めるという。若い世代の多くが文革の悲惨さを知らないという。
文革50年
文革50年
 月刊Hanada16年7月号
文革50年





 文革50年


 今年は中国で文化大革命が始まって50年である。「大躍進政策」の大失敗で失脚した毛沢東が権力を再奪取する醜い目的で起こした運動にもかかわらず、朝日新聞や岩波書店などは賛美していたことを思い出す。

 「大躍進」と「文化大革命」で5千万人から7千万人の人民が虐殺され、1億人以上の人々が犠牲者となった。当時から、糾弾して虐殺した人を食べたという話はあった。

 古来から、中国では、地平線の彼方に砂煙が上がり異民族が攻め込んでくる気配があると城門を閉じ、籠城戦に入った。長期間に及び飢えてくると、さすがに自分の子どもは食べられないので、「子を換えて食う」という話が伝わっている。飢えの苦しみの極限状態ならまだ分かる。

 現代においてまさかと思っていたが、文革時、食人は本当にあったようである。元産経新聞記者でジャーナリストの福島 香織さんが月刊Hanada7月号「現代中国残酷物語」として書いている。抜粋してご紹介します。


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 わずか五十年前の文化大革命の実態。「階級への憎しみ」が人民を食人行為に駆り立てる


 二十世紀の「人肉宴席」

 5月16日、文革開始から50周年を迎えた。だが中国では、文革中に行われた非道行為の実態について公にすることも、その責任を明らかにすることも依然、タブー視されている

 むしろ文革についての批判はますます統制されるようになった。2005年に広東省汕頭市に設立された中国唯一の文革博物館が5月に閉鎖されたのはその証左であると思う。

 そういうなか、外国メディアによる文革の悲劇の掘り起こしが相次いでいる。

 たとえば、AFP通信が5月13日に報じた広西(こうせい)チワン族自治区の武宣県大惨劇事件、通称「人肉宴席」事件について、現地を取材して書いている。文革研究者の間ではよく知られた話ではあるが、AFP記者は当局の公式調査団員に接触して、未公開の報告書草案を確認していた。

 草案には「首切りや殴打、生き埋め、石打ち、水責め、釜ゆで、集団虐殺、内臓の抜き出し、心臓や肝臓、性器の切り取り、肉のそぎ落とし、ダイナマイトでの爆破など、あらゆる方法が使われた」という表現があった。


 この報道を見て、久しぶりに鄭義(ていぎ=チャン・イー)の長編ノンフィクション「紅色紀念碑」を引っ張り出してみた。武宣県大惨劇を含む広西南部で多発した文革中の食人事件の話を最初に世に知らしめたのは、おそらく在米中国人作家、鄭義のこの本である。

 鄭義が1986年から現地で取材を行い、天安門事件の指導者の1人として指名手配を受けての逃亡中の3年間で書き上げ、知人を介して原稿を海外に持ち出して、ようやく日の目を見た奇跡の書である。


 鄭義がこの事実を暴く前の80年代初頭に、当局はすでに公式調査団を派遣して調査を行っていたそうだ。
 鄭義は取材中、地元政府・党の妨害も受けるのだが、地元にはこの食人事件に怒りを覚えて取材に協力してくれる元役人や知識人も存在した。

 だがその後、この武宣惨劇事件もその他の食人事件も調査結果は封印され、鄭義の本は発禁処分となる。


 美女の心臓も男性器も……

 文革中、広西チワン族自治区ではおよそ15万人が虐殺されたと推計されている。南部では激しい武闘(武装闘争)・批闘(批判闘争=つるし上げ)によって、交通が阻害されるほど路上に死体の山ができた。

 上林県、賓陽県、蒙山県、武宣県などでおぞましい集団リンチが行われ、大勢の犠牲者が「階級への憎しみ」から加害者に食われた
 あるいは、単に「美女の心臓」を食べると病気が治るといった迷信を信じて、美人女子学生を狙って殺したケースもあった。

 特に激しかったのは武宣県だった。糾弾大会が行われるたびに、人肉目当ての老婆が籠を持って、人が殺されるのをいまかいまかと待ちわび、殺害が行われるや否や、死体に群がって肉を切り取ったという。

 武宣県革命委員会女性副主任・王文劉はもっぱら男性器を食べていた、という報告書が1985年に下部組織から党中央工作組に挙げられ、当局が調査している。だが彼女は、党除籍処分を受けて一般労働者に格下げされただけで大した処分を受けなかった。

 武宣県の文革は、北京より一年遅れて1968年から激化した。主流派と非主流派の武闘が同年5月4日から12日まで繰り広げられ、闘争で97人が死亡、捕虜34人も処刑された。

 非主流派の総指揮者・周偉安は逮捕され、惨殺された。首と足を切り取られて木の下に掲げられ、その下で妊娠中の妻が辱められた。周偉安の兄も惨殺された。

 この事件直前に逃げ出した非主流派の2人の学生は群衆に捕まり、縛られて、学校の門衛に生きたまま腹を裂かれて、心臓と肝臓を手で掴み出され、豚肉と一緒に料理されて皆に振る舞われた。


 人肉食に抵抗なし

 この大武闘後も、武宣県ではあちこちで食人事件が頻発した。批闘が起きるたびにリンチが起き、人が死に、その食人の宴会が繰り広げられた。6月18日、武宣中学の校庭や黄茆人民公社など、3カ所でリンチと食人が行われた。
 
 人民公社による街頭引き回しデモでは小学校教師ら7人が吊し上げられ、うち6人がリンチで殺され、細切れにされて群衆に食われた。この人民公社販売部では、一尺八寸の大鍋で人肉を調理し、十数人に振る舞われた。

 こうした話は県の整党委員会の資料にも残り、多くの目撃者、実際に殺戮や人肉食にかかわった人物も生存している

 こうした食人事件は日時、場所、犠牲者、加害者の名前から、いかに殺戮して食ったかまで細かい記録が、党の資料と実名の当事者の証言で裏付けられている


 鄭義の本は、アイリス・チャンの『ザ・レイプ・オブ・南京』のような誤謬だらけの本とも、本多勝一らの伝聞だらけの都市伝説本とも違い、隠された文革調査資料を見て、関係者の証言で裏付けた取材であり、記録である。

 文革時代、食人が横行したのは広西だけでなく、安徽(あんき)や陝西(せんせい)、河南、山西などでも発生している。

 群衆が政治的混乱のなかで人を次々と殺して食うというホラー映画のような光景が、わずか半世紀前に中国各地であった党中央はその事実を知って驚愕し、公式に調査したが、その調査結果は封印した。加害者側への処罰は徹底されず、食人をした者のなかには幹部に出世している者もいるという。


 文革の記憶こそ遺すべき

 折しも5月18日、ベトナムのフエでユネスコ記憶遺産アジア太平洋地域委員総会が開かれた。昨年、中国が申請した「南京大虐殺文書」がユネスコ記憶遺産に登録されてしまったことへの教訓から、制度改革への提言目的もあって、今回初めて日本人専門家が派遣された。

 ユネスコが守ってほしい「歴史の記憶」はこんな茶番の歴史プロパガンダではなく、こうした文革の隠匿されている資料や生存者の記憶のような、放置しておけばそのまま抹殺されてしまう歴史資料だろう。


以上


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teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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