江戸の治安対策

江戸の治安対策
 どこをとっても素晴らしい本。時代ものの作家はほとんど読んでいるはずである。
 864円。安い!!2冊持っている。
江戸の治安対策
 『大江戸八百八町』 (洋泉社MOOK)から
江戸の治安対策
 江戸ものMOOK
江戸の治安対策
 (小学館文庫) 648円。





 江戸の治安対策


 時代にもよるが、江戸時代100万人の人口を南北両奉行所与力25騎×2=50騎同心120名×2=240名岡っ引き約400名、その配下の下っ引き約千人これだけで江戸の治安が守られるはずがないと思ってきた。

 しかも、町奉行の任務は、東京都知事、警視総監、地方裁判所所長、消防署長などを兼ねたものである。訴訟だけでも年間3万5千件も持ち込まれ、1日百件もこなさなければならない。激務である。

 日本は当時から法治国家であった。町奉行は早朝から仕事に励み、朝10時には江戸城に登城し、刑の執行などについて老中に伺い(町奉行が独断でできるのは中追放まで。遠島や死罪は将軍に伺った)、午後2時になると下城して奉行所で執務をこなす。月に3日は南北奉行が会っていろいろと事務の打ち合わせをし、大事件は寺社、町方、勘定奉行の三奉行が評定所に集まり審議した。さらに大きな事件では老中や大目付が列座した。


 『江戸「捕物帳」の世界』から抜粋してご紹介します。


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 江戸の町は番所だらけ


 江戸は政治の中心地で、全国の270家ほどの大名の邸があり、上屋敷のほかに中屋敷や下屋敷もあるので、600以上の大名屋敷があった。

 江戸の治安維持にあたる警察力が弱体なのは明らかで、それを補完するために、江戸への入口の高輪四谷大木戸を設けている。

 幕府は辻斬り防止のため、寛永6(1629)年に人通りが少ない武家地に「辻番」を設置することを命じた。辻番は昼2人、夜4人で警備し、1刻(2時間)おきに巡回するよう定められた。

 大名屋敷が並ぶ地域には各邸の辻ごとに家臣が常駐する「大名辻番」が229カ所、小大名や旗本が入り混じった地域では数家が寄り合って「組合辻番」を設置し、費用は石高に応じて負担し、669カ所あった。

 幕府が設けた「公儀辻番」は87カ所あったが、享保6(1721)年に系譜節減のため10カ所に減らしている。


 町人地にあった自身番とは

 江戸の町は京都の町割りを参考にしており、京間の60間(約118㍍)四方を一つの町にしていた。町人地は町役人(ちょうやくにん)が町奉行から委託されて運営していた。町人地には町の自治を担う「自身番」が置かれた。江戸中で約300の自身番があったとされている。

 その経費は町入用(ちょういりよう)で賄われ、正業を持った商人などが、間口に応じて出し合った。税を払わない裏長屋の住人たちは、この意味では町人とは言えない。

 自身番の屋根の上には火の見梯子が立てられ、火事があると町内の火消しが梯子を登って半鐘を叩いた。


 各町には町木戸もあった

 江戸では町内警備のために、町境の出入り口には町木戸を設けており、明六つ(午前6時頃)に木戸が開けられ、昼間は通行自由だが、夜四つ(午後」10時頃)には閉められ、その後は産婆以外は通さなかった。

 さらには裏長屋につながる露地の入口にも「長屋木戸」が設けられ、大家などが錠を預かっていて門の開閉をしていた。

 町木戸を番するのは木戸番で、多くは自身番と道を挟んだ向かいにある、六尺と九尺の小屋(1.8㍍×2.7㍍)である木戸番屋に住んでいた。

 木戸番は町で雇われて町内の雑用をする者で、夜回りをしたり、拍子木を打って時を知らせて歩き、番太郎とも呼ばれていた。報酬は年に1両か2両(10万円~20万円)程度であったとされ。そのため一種の荒物屋を営むことを許され、なんとか生計を立てていた。

 江戸の町は辻番、自身番、木戸番、橋番などに番人を置いて自衛していたのである。


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 以上のような基礎知識があると時代小説がよく分かるようになる。例えば、金子成人(かねこ・なりと)さんの『付添い屋六平太』8巻にこうある。


諏訪町から黒船町へと歩を進めていると、行く手で拍子木の音がした。
六平太が眼を凝らすと、八幡宮前の木戸が閉まりはじめた。
拍子木は、四つ(十時頃)の合図だった。
町の境にある木戸は防犯上、四つになると一斉に閉められる。
「すまねぇ、木戸を通してくんな」
急ぎ駆けつけた六平太が、年のいった木戸番を片手で拝んだ。
「行き先と名をお聞かせ願います」
「元鳥越、市兵衛店(いちべえだな)、秋月六平太」
別段怪しむことなく、木戸番が脇門を開けてくれた。
「すまねぇ」
片手を上げて通り過ぎた六平太の背中で、拍子木が打たれた。
次の木戸に、通行人があることを知らせる合図である。
元旅籠町一丁目の木戸に近づくと、
「なんだ秋月さんでしたか」
待っていた木戸番が笑みを浮かべた。
「浅草でつい時を忘れてな」
六平太が、開けられた脇門を潜った。
「お気を付けて」
「おう」
木戸番に応えて、六平太が歩を進めた。
背後でまた、拍子木が打たれた。
次の森田町の木戸への合図だ。
六平太が、木戸から木戸へと町送りをされたのは久しぶりのことだった。


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(感想・意見など)

 知れば知るほど味わい深くなる。江戸ファンがとまらない。


以上


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プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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