外圧に弱い国

週刊新潮16年11月10日号

毎日新聞16年11月4日
景気は悪いが他国を支援すべきだと回答したのが、日本人59%、米国人37%、欧州10カ国平均40%、中国22%、インド23%だった。

藤原ていさんは、先日98歳で亡くなった。数学者の藤原正彦さんは次男。敗戦後、旧満州で気象台の職員だった夫(のちの作家・新田次郎氏)が抑留され、幼子3人を連れ朝鮮半島を徒歩で南下。食べ物はなく、物乞いまでした。はだしで38度線を越え米軍に保護され、帰国後病の床についた。子供たちへの遺書のつもりで書いたこの引き揚げ体験記はベストセラーになり、映画・ドラマ化された。

高松港に停泊中の護衛艦「くらま」。


「慰安婦問題」、「南京大虐殺」、ついこの間あった「援助交際」「JKビジネス」などでもそうだが、いわゆる「人権派」弁護士、大学教授、評論家、左派系政治家、朝日新聞、岩波書店などの記者・編集者などがよく利用するのが、「外圧」である。国内で騒いでも動きがないので、しばしば「外圧」を利用すべく米中韓や国連・国際組織などに御注進に及ぶ。
それも事実を元にしたものなら、それほど問題はない。多くの場合、事実ではなかったり、あまりにも誇張がはなはだしいのが問題である。
週刊新潮11月10日号、藤原正彦さんの「管見妄語」を抜粋してご紹介します。
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外圧に弱い国
日本人ほど他人の気持を思いやる人々はいない。日本社会が穏やかなのはこれが大きな一因であろう。また激しい自己主張を抑え相手の気持を尊重するというのは、社会活動を円滑に動かす鍵となっている。
例えば他人からの願望や要求は、できたらかなえてやりたい、と日本人ならまず思う。利害の反する件について衝突した時、残念だがひとまずは相手の気持を尊重し譲歩してやろう、というのもよくあることだ。「今回は譲っておこう。先方に借りができるから次には向こうが譲ってくれるだろう」と内心思ったりする。
ところがこれは世界でも通ずることではない。外国や外国人に対する時、相手の願望を尊重しかなえてやっても、先方は借りができたとは思ってくれない。「相手が譲歩したのは、譲歩しなければならない弱みがあったからに違いない。これからも交渉では強く出よう」となる。
これを知らない人が多いのか、我が国は外圧に極めて弱い。この事実は海外でよく知られているから、ひっきりなしに外圧がかかってくる。特に米中韓だ。中韓は、外交上の優位に立つと同時に日本の軍備増強を防ぐため、しきりに歴史問題をむし返す。70年以上も前の戦争に関し、その罪状を罵り続ける国は、日本に対する中韓の他に一つも知らない。
一方、アメリカからの外圧はほぼすべて米国の国益追及のためだ。我が国におけるここ20年の目ぼしい改革のほぼすべてはアメリカの外圧によるものだった。いくつもの金融機関を潰した金融ビッグバン、非正規社員を大量に生み世界一だった日本の雇用を壊した労働法改正、地方の駅前商店街を片端からシャッター通りとした大店法、簡保と郵貯350兆円の運用権を狙った郵政民営化などだ。すべて米企業のためである。
GHQが十日間ほどででっち上げた憲法を押しいただき未だに崇めている国民は、アメリカに唯々諾々と従うことを何とも思わなくなってしまったようだ。
米中韓が外圧を加えてくるのは仕方ない。日本を含め世界は国益だけで動いているからだ。外圧に弱い国民性の方に問題がある。
やっかいなのは、国内問題を解決するために外圧を利用する輩が多いことだ。例えば、文部省が高校教科書検定で、日本軍の中国華北への「侵略」を「進出」に書き換えさせた、との誤報は日本のマスコミから発せられ、中韓の憤激をよび外交問題にまでなった。この結果、「近隣のアジア諸国への配慮が必要」という、世界に類例のない「近隣諸国条項」が教科書検定に加えられた。歴史とは社会科学であったはずだが。
マスコミによる中韓への御注進はよくあることだが、時の政府さえ頻繁に外圧を利用する。消費税を5%から8%へ上げたことで折角のアベノミクスは吹っ飛んでしまったが、この時も上げたい人々がIMFや世界銀行などに働きかけ、財政破たんを避けるには消費税引き上げが不可欠と忠告させた。
スポーツ界までがそうだ。この10月になって、東京オリンピックの会場をめぐり、IOC、国際ボート連盟、国際水連などのトップが続々と都知事に会いに来た。IOC会長には天皇陛下への拝謁を許すほどの阿(おもね)りだった。会場の計画縮小を目論む都知事に外圧を加えようと、それぞれの関係者が招請したのだろう。
いつの間にか日本は自分のことを自分で決められない国になってしまった。南シナ海における中国の主張や行動は国際法違反、という仲裁裁判所による当然の裁定がでたが、中国はこれを世界注視の中で「紙くず」と言ってのけた。恐るべき不見識はともかく、世界を一喝するこの気合だけは我が国も少しは学んでほしい。
以上