アスリートの苦悩②…円谷幸吉さん

 
  円谷幸吉(つぶらや・こうきち)さんは、私にとって決して忘れることのできないアスリートである。

 2012年8月20日のブログ「円谷幸吉さん」をそのまま再録します。

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円谷幸吉さん


 今日8月20日午前11時から東京・銀座でロンドンオリンピック・メダリストたちの凱旋パレードが華やかに繰り広げられた。集まった人たちは50万人という。

 12年8月日本経済新聞の「私の履歴書」欄はマラソンの君原健二さんである。1964年の東京オリンピック8位、68年のメキシコオリンピックの銀メダリストである。私は通常スポーツ選手の「―履歴書」は見ない。しかし、君原さんの「履歴書」にサッと目を通し、「円谷つぶらや)」の文字を見た時、目が釘付けになった。

 私が歴代オリンピック選手で最も気になる人は、ダントツで円谷幸吉さんである。高校生の時に受けた衝撃はいまも忘れられない。

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 日経新聞12年8月18日君原健二さんの「私の履歴書」から一部抜粋します。

 
 円谷さんの死


 「会社の電話で非報を耳にした。マスコミからの知らせだった。1968年1月9日、円谷幸吉さんがカミソリを首にあて、命を絶った」

 「訃報を聞いた瞬間、胸にせり上がってきたのは『悔しい』という思いだった。私には苦しんでいる円谷さんの心中を察することができなかった。私は円谷さんを救えたかもしれない人間の一人だったと思う。にもかかわらず、何もしてあげることができなかった」

 「東京五輪のゴールを目前にして、ベイジル・ヒートリー(英国)に逆転を許し、メダルの色が銀から銅へと変わった。円谷さんは国民の前でぶざまな姿をさらしてしまったと恥じた(注1)。そして、メキシコでの再度のメダル獲得が自分に課された責務なのだと自分に言い聞かせ、公言もした。私は言ってあげるべきだった。『そこまで自分を追い詰める必要はない』と」

 「メキシコ五輪が刻々と迫る中、円谷さんの故障は長引き、まともに走ることができなかった。椎間板ヘルニアの手術に踏み切ったが、回復はしなかった」

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 円谷さんは自衛隊に所属していた。上官が代わり、その上官は円谷さんの婚約を「次のオリンピックの方が大事」と認めず、結局破談になった。このことの影響を指摘する人もいる。因みに、東京オリンピック8位の君原さんは、結婚を機に復活(注2)、メキシコでは銀を獲った。


 私には、人生いろいろあるが、よほど極悪非道の人でない限り、プラスマイナスで言うと少しはプラスであった、生きてきてよかったと思って人生を閉じてほしい、という思いがある。ましてや、オリンピックに出るほどの人であれば、どれだけ凄まじい努力を重ねてきたことか。


 円谷さんの遺書は涙なくして読めない。


父上様、 母上様、
三日とろろ美味しゅうございました。
干し柿、もちも美味しゅうございました。

敏雄兄、姉上様、
おすし美味しゅうございました。

克美兄、姉上様、
ブドウ酒、リンゴ美味しゅうございました。

巌兄、姉上様、
しそめし、南ばんづけ美味しゅうございました。

喜久造兄、姉上様、
ブドウ液、養命酒、美味しゅうございました。
又いつも洗濯ありがとうございました。

幸造兄、姉上様、
往復車に便乗させて頂き有難うございました。

正男兄、姉上様
お気をわずらわして大変申し訳ありませんでした。

幸雄君、英雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、
みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、
裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、
立派な人になってください。

父上様、母上様、
幸吉はもうすっかり疲れ切って走れません。
なにとぞお許し下さい。
気が休まる事もなく、
御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。

幸吉は父母上様のそばで暮しとうございました。


(以上)


(注1)君原さんは8月17日の「―履歴書」でこうも書いている。「しかし、少しも恥じることなどなかったのだ。陸上競技での日本人選手のメダル獲得は28年ぶりの快挙だったのだから」

注2)君原さんは東京オリンピック後の1966年ファンの女性と結婚。8月19日の「-履歴書」にはこのように書いている。「そのころ、私はとにかく誰かと結婚したかった。何しろ東京五輪までの厳しい練習と、メダルを期待する周囲からのプレッシャーで精神的に疲弊していた。そのすさんだ心を癒やしてくれる相手が欲しかった」「私は結婚で癒やされ、救われた」


 8月18日の君原さんの「-履歴書」は最後にこう書かれている。「故郷の福島県須賀川市では83年から、秋に円谷幸吉メモリアルマラソンが催されており、私は毎年、足を運んで出場している。前日には円谷さんが夜学に通っていた中央大学の学友の方々と酒を酌み交わす。墓前で手を合わせ、『おかげさまで、私は元気にしております』と報告する」


 ……円谷幸吉さんは、多くの人々の心の中に生きている。


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プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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