綺羅 星(きら ぼし)

綺羅星(きらぼし)
 サンデー毎日17年5月21日号
 都倉俊一(とくら・しゅんいち)さんは作曲家、プロデューサー。代表作は、ピンク・レディー(ペッパー警部)、ペドロ&カプリシャス(ジヨニイへの伝言)、山口百恵(ひと夏の経験)、山本リンダ(どうにもとまらない)など。
綺羅星(きらぼし)
 ソニー創業者たち。左から盛田昭夫、井深大(まさる)、大賀典雄。初期のソニー製のテープレコーダーにクレームをつけにきた東京芸大生の大賀に目を付けた井深と盛田が、バリトン歌手になりたかった大賀を(無理矢理)ソニーの経営陣に引っ張り込んだ。
綺羅星(きらぼし)
 今年4月10日頃の高松市水道資料館(市登録有形文化財)。桜が満開。毎年楽しみにしていた。
綺羅星(きらぼし)
 今日の水道資料館。大正期の建物の耐震補強工事を行っている。
綺羅星(きらぼし)
 とうとう桜の大木を切ってしまった。






  綺羅 星(きら ぼし)


 戦前・戦中・戦後のドイツの日本人社会を書いた本を読むと、そう多くもない人数ながら、「綺羅、星のごとき」人たちを輩出している。話によく出てくるのは、女優であり声楽家でもあった田中路子(みちこ)さんである。

 都倉さんの話に出てくる大賀さんも、小澤征爾さんや若杉弘さんなどとともに田中路子さんの世話になったらしい。路子さんはカラヤンとも親しかった。大賀さんとカラヤンは大変親しく、CDが世に出るためにカラヤンの後押しがあったし、CDが今の大きさになったのはカラヤンの指揮するベートーベンの交響曲を収めるためだと言われている。大賀さんとカラヤンは共に音楽家であり、ジェット機の操縦という共通の趣味もあり、たまたまではあるが、カラヤンの最期を看取ったのは、その時カラヤン邸を訪れていた大賀さんである。

 都倉俊一さんの一家もその日本人社会の一員であったという。サンデー毎日5月21日号の記事を抜粋してご紹介します。


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 三か国語でケンカする子どもだった


 父親が外交官だったので、学習院の初等科に入学した年の7月にドイツに行きました。ドイツではアメリカンスクールに通っていたので、学校の友だちとは英語で、近所の悪ガキとはドイツ語で、家では弟と日本語でケンカしていましたね。トリリンガルなんて格好いいものじゃないですよ(笑)。ドイツ人とアメリカ人は仲が悪くて、子ども同士でもしょっちゅう対立する。僕はしょうがないから、両者の真ん中で中立の立場を維持していました。

日本から担任の先生に教科書を送ってもらい、それを読んでいました。母が、どんなに外国語が話せても日本語ができないとダメだという考えだったんです。

 住んでいたのはラインライトで、当時その地域にいた日本人は200人くらい。ほとんどが商社や通信社勤めの家族でした。正月には大使館の公邸に日本人全員が集まれたほど。その中に、後にソニーの社長になった大賀典雄さんがいました。当時はバリトン歌手を目指してドイツの大学に通っていた学生で、僕にとってはいいお兄さんでした。

 大賀さんはよく我が家で母の手料理を食べていて、日本に帰国してからも遊びに来てくれました。ソニーの常務になっていた大賀さんに、母は「世界的なバリトン歌手になると思っていたのに、がっかりね。商売されるなんて」と言っていました。〝商売〟といっても世界的大企業ですからね。大賀さんも苦笑いしていましたよ(笑)。


以上


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teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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