昭和10年頃のある農村の習俗

昭和10年頃のある農村の習俗
 週刊文春17年5月25日「私の読書日記」
昭和10年頃のある農村の習俗
 『イザベラ・バードの日本紀行』。1878年(明治10年)ごろ、バードは東京から内陸を通って北海道へ旅した。帰京後、京都、伊勢神宮、大津等を旅し、その見聞や印象を故国(英国)の妹に書き送った。(講談社学術文庫)上:1620円、下:1350円
 正直、『朝鮮紀行』(1894~1897)ほど面白くない。何度も挫折した。現在、ぼっちらぼっちら読んでいる。
昭和10年頃のある農村の習俗
 道の目地に咲いているスミレ?高さ6~7㌢。





 昭和10年頃のある農村の習俗


 私は商店街で育った。ハタチごろ今のところに移り住んだ。今年3月末まで自治会長を務めたが、周りは田園地帯。川が2本流れ、ため池がいっぱいあり、神社なども多い。連合自治会の会合などに行くと、他の20人前後はカントリーボーイ。彼らは、当然、農村地帯の習俗に通じている。私はと言えば、中身空っぽ、根無し草のシティボーイである。

 週刊文春5月25日「私の読書日記」は、フランス文学者の鹿島 茂(かしま・しげる)さん。鹿島さんが紹介している本の中に、中身空っぽ、根無し草のシティボーイの胸に響く本が紹介されていた。抜粋してご紹介します。


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 「日本の村」の家族人類学


 田中一彦 『忘れられた人類学者(ジャパノロジスト) エンブリー夫妻が見た〈日本の村〉』(忘羊社2160円)は、1935年に熊本県球磨郡須恵村に住みついて人類学的調査を行ったジョン・エンブリーとその妻でエラという、いまでは忘れられた2人のジャパノロジストの伝記と両者の著作『日本の村・須恵村』『須恵村の女たち』の紹介だが、なによりも引用・要約された2人の観察が素晴らしい。

 まず、須恵村の家族類型はというと、「①小家族(戸主と妻、長男夫婦とその子ども、および主人の未婚の子どもから成る)、②隠居した祖父母、③若い未婚の兄弟や夫と別れた姉妹、④家事や農事の手伝いをする奉公人――を含む」というから、共同体家族ではなく直系家族である。

 直系家族であることは「長男は『幸運』で、戸主権とそれに付随した社会的地位、物質的財産を相続する。しかし次男にも利点があり、裕福な家では長男よりもみしろ次男に教育を受けさせる。街に移住し、好きな職業を選ぶこともできた」という記述から傍証できる。

 婚姻はというと外婚性。「妻はほとんどが部落外の者で、男は部落生まれである」。ただし、いとこ婚もある。家名存続と家系尊重のために養子縁組が不可欠というところは、日本的直系家族そのものである。

 家の性格についてジョン・エンブリーは「家族一人々々が、自分自身のためではなく、家のために働き、……この世帯の協同的統一性は、さまざまの関係に影響している」と「協同」の重要性を指摘し、同じ構造が家と村の小単位である部落との関係にも当てはまるとしている。

 「これらの世帯の群はひとつの井戸を使い、共同して髪油を搾ったり、田植えには労力を交換しあったり、互いに交代に風呂を使ったりしている。通常には『組』とよばれる小さな共同作業の単位をつくるのは、このような家の群である。接近して住んでいるので孤立性はなく、世論が強く作用して、各部落の生活を特徴づけ、その社会的統合を強めもし、補いもするように、地理的単位を与えている」。

 そのため、村のすべてが「協同(はじあい)」の顕著な特徴を示している。経済は贈与経済であり、労働は「かったり」(無償の交換労働)、手伝い・加勢(家屋の建築、非常事態、葬式)などが中心で、社会は「ぬしどり」と呼ばれる世話役が調整役となる当番制の自治システムで律せられて、金融は「講」という互助システムで運営されている。


 と、ここまでの記述では、須恵村は直系家族そのもののように見えるが、しかし、エラが観察した須恵村の女たちを見ると、そこには九州の基層をなしていた起源的核家族の痕跡が認められる。

 「夫婦は『ここでは19歳以上で処女のものはいないだろう』と思っていた。40代のある女性によれば、かつて『結婚のときに処女であることはそんなに望ましいことではなかったし、女の子はすべて18歳ぐらいになると処女を失った』と言う」。

 また、結婚は家が決めるものという通念に反してエラはこう断言する。「日本の農村社会に関する文献からは考えられないほど、須恵村の女たちは、結婚や離婚などで、予想のできないほどの著しい自立性を見せていた」。

 つまり女性の意思による離婚と再婚が多く、妻の不貞もエンブリー夫妻の予想をはるかに超えていたのである。村の女はエラの質問に「ええ、しますばい。ここの女たちはしばしば、夫とは別の男ば持っとる。女たちは夫のおらんときに、その男と会うとです」と答えたという。夜這いも盛んだったが女には拒否権があった

 ことほどさように、熊本の草深い農村においても、日本の戦前は、決して真っ暗ではなかったのである。


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(感想・意見など)

 恐らく10年くらい前だと思うが、何かの本で読んだこと。

 その地方も夜這いが盛んで(女性に拒否権はある)、例えばある女性がある期間にA,B,C3人の男性を受け入れて妊娠したとき、女性がその子の父親をA,B,Cから指名できたという。A,B,Cにとっては身に覚えのあることでもあるし、どうせ3代前、5代前にさかのぼれば全員親戚のようなもの。女性にとって最高のシステムではないか。


以上


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teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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