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海舟と西郷と慶喜②

海舟と西郷と慶喜
 週刊朝日17年12月1日号
海舟と西郷と慶喜
 同。「司馬遼太郎と明治」
海舟と西郷と慶喜
 朝日新聞17年11月25日
海舟と西郷と慶喜
 「江戸城無血開城」には多くの命がかかっていた。日本の将来もかかっていた。幕府側も薩長側も一枚岩ではない。武闘派はどちらの側にもいた。
 海舟は、西郷との談判が決裂したときは焦土作戦をとるつもりでいた。旧知の江戸火消の長・神門(しんもん)辰五郎に依頼して、江戸町民を千葉に避難させるため船という船を準備させ、江戸の町を焼き払うための火薬類なども預けていた。慶喜を逃がすための船も用意していた。もしそうなっていたら、その後の日本はどうなったことやら。
海舟と西郷と慶喜②
 県立盲学校のハゼノキ。
海舟と西郷と慶喜②
 高松中央図書館まえのケヤキ。道路側のケヤキはほとんど坊主に。





  海舟と西郷と慶喜②


 昨日の続きです。


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 幕末の宇宙人


 志學館大学教授で、『西郷(せご)どんと呼ばれた男』『西郷隆盛53の謎』の著者、原口泉さんに、この当時の西郷について聞いた。

 「薩摩は幕府も会津も、、見限り始めていたころですね。薩摩は雄藩としてまず割拠しようと考えていた。海外貿易でしっかり儲け、日本の新しい政体づくりに乗り出そうとしていた。そのためには長州が邪魔でした。攘夷論が盛んな長州が関門海峡をおさえている限り、外国貿易ができません。日本の台所は瀬戸内海の奥の大坂ですから」

 「西郷にはまだ明確な国家構想はなく、それより薩摩が大事でした。その西郷に長州征伐なんていってる場合じゃないと、海舟はいう。幕府は無能者ばかりだ、アンタたちが何とかしなさいとハッパをかけられた。素直な人ですから、魅せられたんでしょう」

 海軍を整備、国防を充実させる構想はかねて海舟にあった。かつては西郷も聞いていたはずと、原口さんはいう。

 「西郷は前藩主の斉彬(なりあきら)の薫陶を受けています。斉彬は海防国家論者で、外圧に対抗するためには連合艦隊を持たなければいけないと考えていた。それが井伊直弼の登場で挫折する。忘れかけていたころに、同じような構想をもつ勝に西郷は出会うことができた」


 それにしてもこの時代、軍艦奉行ながら幕府を否定する発想は、あまり理解を得られなかったようだ。

 「弁のたつ政治家で、あまり誠実さがかんじられなかったためか、人望を集めるタイプではありません。上司からは〝宇宙人〟のように思われていたんでしょう。でも魅力はあったと思います。薩摩出身で、13代将軍夫人だった天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ)とは仲がよかった。天璋院は相手の肝っ玉をみる女性でしょうからね。人物を評価していたんでしょう」

 この時代はもう一人、幕府に「宇宙人」がいたと、原口さんはいう。
 15代将軍、徳川慶喜である。

 「慶喜海舟、どっちも宇宙人で、IQが高すぎたんじゃないかな。封建時代には似つかわしくない、近代の知者だと思う。衆愚政治とポピュリズムが横行するのは幕末も同じですね。2人ともポピュリズムに辟易(へきえき)としていた。幕末の日本が方向性を見失わないように舵を取った人が勝海舟さんでしょう。こういう人は信仰の対象になりません」

 一方、ポピュリズムの横行する幕末で、西郷は一身に期待を集めることになっていく。


以上


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プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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