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韓国は日米と歩むほか道はない

韓国は日米と歩むほか道はない
 筑波大学大学院教授・古田博司(ひろし)さんは恐らく40数年にわたる東アジア史研究の専門家。日韓歴史共同研究委員でもあった。史実に基づいて韓国側学者と論争している時、「お前には韓国に対する愛情はないのか!」と言われた。
 ハッキリ言ってコリアの歴史はろくでもないものであって、学者でさえファンタジー(かくありたい)史観に逃げている。エビデンス(証拠)に基づく史実を認めない。平気で嘘をつく。約束を破る。「卑劣」の意味がわからない。だから、コリアと付き合いの長い人はほとんどアンチ・コリアになっている。私も1990年頃からのコリアウオッチャー(27年?)であるが、ほとほと愛想もこそも尽き果てた。コリアとは、「助けず、教えず、関わらない」ことである。
 韓国は日米と歩むほか道はない
 産経新聞18年2月28日「主張」
 日韓合意をまたまた破り、韓国の康京和外相鄭鉉栢家族相が相次いで国連機関に慰安婦問題を持ち出した
韓国は日米と歩むほか道はない
 産経新聞18年2月28日
 かの国の人は、約束を守らない、平気で嘘をつく、「卑劣」の意味が分からないの、見本のような行為を誰もが何度も繰り返している。同レベルになるようで気は進まないが、結局、中国のような分かりやすい行動を取るしかないのではないか。
韓国は日米と歩むほか道はない
 四国新聞18年3月2日
 韓国文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、「3・1運動」を記念する式典で、「加害者である日本政府が『終わった』と言ってはならない」「誤った歴史を我々の力で正さなければならない」と言ったとか。朝日新聞福島瑞穂高木健一、戸塚悦朗ほかの弁護士たち、吉見義明・中大教授たちよ、責任とれよな!コリアンがこういう卑劣な人たちと分かっていて捏造したのか?
韓国は日米と歩むほか道はない
 『日東壮遊歌(にっとうそうゆうか)
 江戸時代の1763年から1764年にかけて来日した第11次朝鮮通信使の書記・金仁謙の旅行記。日本に対する羨望、恨みつらみが率直に綴られている。彼のバックボーンは朱子学。ウイキペディアであらましを読んでください。2分で読めます。
韓国は日米と歩むほか道はない
 李朝末期(1900年頃か)の首都京城(ソウル)。首都でさえこのようなあり様。他は推して知るべし。因みに、韓流ドラマはデタラメもいいとこ。
韓国は日米と歩むほか道はない
  今日は突風が吹きまくった。近くの神社の大楠(おおくす)の枝に生えていた植物が苔と共に何個か落ちていた。また、駐輪場の自転車は大半が倒れていた。
韓国は日米と歩むほか道はない
 近くの神社のボス猫。いちばん大きく人懐っこい。大風のため、左隅にあるような枝(何十倍もあるものも)が無数に落ちていた。





 筑波大学大学院古田博司教授のコリアについてのコラムを転載します。


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韓国は日米と歩むほか道はない 
2015.6.9 筑波大学大学院教授・古田博司


 朝鮮半島の地政学的な位置と、民族の行動パターンを前提にすれば、次のようにコリアが辿(たど)った歴史をつなぐことができるだろう。


 ≪コリアとシナの隣国関係≫

 現代朝鮮の南北分断が史上初と思っている人がいるが、そうではない。1231年から約30年にわたるモンゴルの侵入で、多数の高麗人が満州の遼陽と瀋陽へと拉致されてコロニーを作り、北緯39度線以北に遼陽行省が置かれた。これが初の南北分断である。

 高麗人たちは、王侯貴族から民衆に至るまで双方に親戚をもち、自由交易をしたために、一次産品しか売るもののない高麗は12世紀からは国内銀に手を出し、14世紀後半には銀を掘りつくしてしまう。そして飢餓輸出の国になってしまった。

 コリアがシナに挑戦するより服従を選んだと思っている人がいるが、これもそうではない。古代先進技術国に極貧国が隣り合わせたというのが真実だ。シナとしては相手にならないから放っておく。攻める必要もない。

 コリアを攻めてくるのは決まって、満州から南下する北方民族か、海から上がってくる日本民族かのどちらかである。そしてまず土地が平坦(へいたん)で外敵を防ぐことのできない廊下のような地形の西側を攻略する。こうしないとシナとコリアで挟み撃ちにあうので先にコリアを占領した。

 コリアは極貧国なので、技術品や工芸品をつくることもできなかった。コリアの針では衣に穴が開いてしまうからシナの針を使った方がよい。朝鮮古典文学の特徴は「朝鮮の不在」だった。シナが舞台でシナ人が主人公、それで漢文ならばシナの古典文学を読んだ方が楽しい。だから文芸も発達しなかった。無理もない。隣が完成されすぎていた。満州の北方民族などは鋤(すき)や鎌すら作れない。シナに朝貢に行ったり、略奪すれば手に入るので作る気がなかった。

 シナの文明を恋い慕って朝貢に行くと思っている人がいるが、これもそうではない。高価なものをもらいに行くのである。ついでに都の宿泊所でシナ商人を呼んで買い物をする。あるいは町に出て市場で買い物する。朝貢とは物もらいとショッピングであり、そのために商人が200人とか300人で付いていく。


 ≪防衛経済選んだ李朝と北朝鮮≫

 さてここからが李朝である。李朝ではモンゴル時代の支配からコリアンはほとんどモンゴル人になってしまっていた。なにしろ第30代高麗国王のミスキャブドルジを毒殺したのが、第31代の高麗国王バヤンテムルなのだ。何が何やら分からぬモンゴル名の王は漢文では忠定王と恭愍王のことである。

 そして民衆も強制されることなく弁髪になってしまっていた。自由交易をすると格差のありすぎるコリアは飢餓輸出国になってしまうし、シナ地域の末端に経済的につながれて宗主国人に容易に同化されてしまう。李朝の開祖、李成桂の父がモンゴルの千戸長だったのと、朴槿恵大統領の父の朴正煕氏が満州国軍の将校、高木正雄だったのは相似なのである。

 モンゴルの政治的・経済的支配にこりた李朝では、まず国境を閉じて自由交易を禁じた。民間商業を抑圧し、特権商人だけに支配階級御用の商売を許した。自由経済をやめて防衛経済に転じたのだ。この特権商人たちが、対馬交易や朝貢ショッピングをするのである。これが現代の北朝鮮の39号室配下の貿易商社と相似なのだ。

 (北朝鮮は)支配階級のためにクルーザーからお茶漬けまで買いつける。李朝の特権商人の方は北京の瑠璃廠(るりしょう)で硯(すずり)を買い、隆福寺の定期市で絹織物を買いつけたのであった。だが一方で民間は貧窮に閉ざされてしまう。李朝北朝鮮は防衛経済を選んだがゆえに、巨大なシナ経済圏からは自立できたが、国は貧しく、このため朱子学と主体思想が、自律性を守る武器となった


≪自由経済と自律性の並立≫

 逆に自由経済を選ぶと、巨大な宗主国経済の末端につながれて自律性を失う。高麗日本統治時代がこれである。後者は幸い資本主義時代だったので、朝鮮に産業が生まれ、飢餓輸出は過去のものとなった。年平均3・7%の経済成長を遂げた。だがコリアンは日本人になってしまった。統治最後の5年間の皇民化政策であれほど同化されるわけがないのである。

 ここまでで、今の韓国がいかに特異か分かるだろう。自由経済と自律性を並立しているコリアは韓国以外にないのである。それを可能にしたのが38度線で島化し、地政学上の「行き止まりの廊下」から解放されたこと第二点は、米韓相互防衛条約で軍事的に守られたこと第三点は、日韓基本条約とその付随協定により、日本資産の返還請求から解放され有償無償の経済援助を得たことであった。

 その韓国で現在、反日が激化しているのはもっと自律性がほしいせいか。ならば、南北統一して防衛経済に入る以外に道はないのである。逆に自由経済が低調ならば、中国経済の末端に連なり同化されるという道があるが、中国人が嫌がるかもしれない。
 結局、偽史を正し、日米と歩む以外に韓国自律の道はないのだ。


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(感想・意見など)

 朝鮮通信使は日本に十数回来たが、朱子学的に日本は劣っていると毒づきながらも、道々の日本の都市の絢爛豪華さや女性の美しさに驚いている。また、農村の水車の効率性に驚き何回もスケッチを持ち帰ったが、結局同様のものを作ることができず、日本が併合するまでほとんど古代のようなあり様であった。コリアンは信じたくないであろうが、それが史実である。


以上


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プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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