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戦乱の時代(軍閥・馬賊・土匪…)

戦乱の時代(軍閥・馬賊・土匪…)
 日経新聞18年5月1日

 5月の「私の履歴書」はモフタル・リアディさんインドネシア生まれの華人。中国名は李文正。1929年(世界大恐慌の年)生まれで89歳。インドネシアでリッポーという企業を創業し今も会長。リッポーの中核事業は、土地開発事業・生活関連事業と情報通信事業。グローバル企業であるが、グループ全体の売上は70億ドル(7600億円)。インドネシアの華人財閥では5本の指に入るという。

戦乱の時代(軍閥・馬賊・土匪…)
 日経新聞18年5月2日

 モフタルさんは、1929年、オランダ領インドのジャワ島で生まれた。そのころインドネシアと言う名前の国は存在していなかった。お父さんの李亜美さんは中国福建省から活路を求めてジャワ島東部のマランに渡ってきた。出入国は容易で人々は中国と東南アジアを頻繁に行き来していたという。

戦乱の時代(軍閥・馬賊・土匪…)
 日本の戦国時代は、15世紀末から16世紀末。そのころを描いた有名な映画が黒澤明監督の「七人の侍」
戦乱の時代(軍閥・馬賊・土匪…)
 (講談社学術文庫)

 英国婦人のイザベラ・バードは1894年から1897年まで4回朝鮮を旅した(因みに朝鮮をめぐって日本と清が戦った日清戦争は1894年から1895年)。李朝末期の朝鮮は日本の古代のようであった

戦乱の時代(軍閥・馬賊・土匪…)
 産経新聞18年3月10日

 これは現在の中国である。

 ①中国新疆ウイグル自治区で、数十万人規模のウイグル族ら少数民族住民が「再教育」名目で拘束され共産党施設「思想改造センター」などに収容されている

 ②中国最高人民検察院(最高検)の検察長は、全国人民代表大会(全人代=国会)で活動報告を行い、習近平指導部発足後の2013~17年の5年間に汚職事件で立件した公務員は25万4400人余に上ったと発表した。

戦乱の時代(軍閥・馬賊・土匪…)
 近くの神社の猫。この猫は私が神社の境内に入る10メートル前から近づいてきた。
戦乱の時代(軍閥・馬賊・土匪…)
 この猫は目つきが悪く、決して人を近づけない。
戦乱の時代(軍閥・馬賊・土匪…)
 ハナミズキは終わり、はしなびて、ツツジも椿も盛りは過ぎた。
 ただ、この藪の中で「ホーホケキョ、ケキョ、ケキョ…」とウグイスが完璧に鳴いていた。荘厳な感じがした。




  戦乱の時代(軍閥・馬賊・土匪…)


 ■日経新聞5月の「私の履歴書」を読んでいたら、1930年頃の中国の様子が分かり、興味深い。抜粋してご紹介します。


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 5か月で中国へ、戦乱生きる


 (ジャワ島東部)マランに生まれついた私だが、生後5カ月で中国へと向かった。福建省に住む祖父が病気と言う知らせが入り、父は私と母を連れて実家に赴いた。父は長男であり、福建省に残した家族を気にかけていた。

 病気の祖父は私たちが着いてからほどなくして亡くなった。祖母の世話をするために母を実家に残し、父はマランへと一人で帰って行った。私は母と一緒に(福建省の)新店村で生活することになった。当時の新店村にはおよそ200戸、千人あまりが住んでいた。村人の姓はみんな私と同じ李であり、一家族だけが陳だった。

 昔の中国の村は同じ姓の宗族が集まり、団結して暮らしていた。先祖が村に移り住んできてから父の代で6代目になる。

 そのころ中国は戦乱の時代だった。南京に国民党政府があったとはいえ、実際は各地の軍閥がなお力を持っていた。福建省でも武装勢力がはびこり、北側の軍と南側の軍が押したり引いたりを繰り返していた。新店村は福州とアモイをつなぐ道路に近いため、常に危険にさらされていた。

 戦闘が始まれば軍隊は村の近くを必ず通っていった。軍隊は村人にとって恐ろしい存在だった軍隊が近づけば村人は山に逃げた。山の墳墓のなかに隠れて軍隊がいなくなるのをじっと待った。戦闘は1~2カ月に1度はあり、そのたびに村人は身を隠さねばならなかった。

 夜になると出没する土匪(どひ)と呼ばれる強盗集団も恐ろしかった。村は細長い道に沿って住居が並んでいたが、道の両端に砦(とりで)を築いて外部からの侵入を防いだ村人は毎夜交代で見張りを続け、土匪に備えた。土匪同士の争いもあり、銃を撃ち合うこともあった。

 戦乱が続き、治安が極度に悪化するなかで、祖母は私の行く末を心配し始めた。マランにいる父に対し、一刻も早く私を連れて帰ってほしいと懇願した。


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イザベラ・バードの『朝鮮紀行』の第十四章「満洲」から抜粋してご紹介します。


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 馬賊は統制がとれていて武装しており、官軍との衝突も辞さず、また勝つことが多い。官軍の要塞を奪ってしまうことすらある。太平天国の乱(1851年)で官軍兵士が満洲から出払っていたとき、こういった馬賊はいたるところに混乱と恐怖を引きおこし、町や村を襲っては、征服欲(!)によりその町や村を支配したものである。

 それでもなお状況は悪く、馬賊は必要悪と見なされるようになり、「協定が結ばれて」いる。馬賊は平気で人命を奪い、南部から来た裕福な商人を捕まえると、その商人のギルドに使者を送って身代金を要求する。そして支払いを延ばすようなら人質の首をはねてしまうぞと脅すのである。

 冬季、泥土の固く凍ったときのみが陸路で物資輸送のできる時期で、牛荘、奉天など南部の都市からラバが引いて出発する。百台もしくはそれ以上の荷車の長い列が見られることがある。荷車はそれぞれ小旗を掲げているが、これはすなわち、馬賊の首領の仲介人にしかるべき貢(みつぎ)を渡しており、輸送中の略奪は行われないというしるしなのである。

 のちにわたしがシベリア・満洲の国境を訪ねたとき、馬賊はたいへんな勢力を持っており、なかば飢えた清国軍の脱走兵がそれに加わってあたり一帯を荒らすので、恐怖におびえた農民は農地を放棄して逃げ出していた。


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(感想・意見など)

 中国は、中央の統制、コントロールが弱まった時、必ず上記のような状態になる歴史を繰り返してきた。


以上


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プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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