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『朝鮮属国史』★★★★★④

『朝鮮属国史』★★★★★①
 宇山 卓栄(うやま・たくえい)さん (扶桑社新書) 896円 ★★★★★
『朝鮮属国史』★★★★★④
 『捏造だらけの韓国史』 八幡和郎(やわた・かずお)さん (ワニブックス) 1500円
 次はこれを読もう。コリアンはあらゆることが嘘ばっかりだから。
 八幡さんは、東大卒業後通産省に入り、フランス国立行政学院(ENA)に留学、北西アジア課長も務めていた。視野が広く歴史にも造詣が深い。

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『朝鮮属国史』★★★★★④
 ニトリ高松田村店 (画面上の黒いのは、高速・高松道)
『朝鮮属国史』★★★★★④
 2月15日オープン。
『朝鮮属国史』★★★★★④
 国道11号線峰山口交差点。ニトリの反対側(東→西)の4車線のうちの右端の車線がよく混むようになった。峰山口交差点でUターンしてニトリに行く(西→東)車が増えた(この画面では見えないが、左角にJRAがある)。
『朝鮮属国史』★★★★★④
 週刊朝日19年3月1日号(岩合光昭さん)






 『朝鮮属国史』★★★★★④


 宇山卓栄さんの『朝鮮属国史』の「おわりに」を適宜抜粋してご紹介します。


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 豊臣秀吉の朝鮮遠征軍の中で、小西行長が首都漢城(ソウル)に一番乗りしました。小西を驚かせたのは、朝鮮王の宣祖(チョンジョ)がまともに戦おうとせず、民衆を捨てて、我先に逃げたことでした。王が逃げた後、民衆は王宮に押し入り、略奪をし、本殿の景福宮などに放火しました。

 王に愛想を尽かした朝鮮人の多くが日本に進んで投降しました。彼らは「順倭(スネ)」と呼ばれ、日本軍に協力し、道案内やスパイ活動などを行いました。

 王はその後も敵前逃亡を繰り返し、開城(ケソン)、平壌(ピョンヤン)、義州(ウイジュ)へ逃げます。

 日本軍は王を漢城で捕らえれば、朝鮮での戦争は終わると考えていました。日本の武士道からすれば、大将である王が我先に逃げることなどあり得ないことであり、想定外のことでした。小西は一旦、平壌で進軍を止めるしかありませんでした。

 一方、第2軍を率いていた加藤清正は義州にいる王の背後に回り込み、王の退路を断とうとしました。そのため、東北方面(カムギョンド)へと進軍します。

 当時、ヌルハチひきいる満洲人(女真族)が満洲や遼東で台頭し、加藤は満洲人に行く手を阻まれ、義州や遼東へ至るルートから大きく外れてしまい、軍を引き返す以外にありませんでした。

 結果的に、我が身かわいさに逃げまくった王のおかげで、朝鮮は明の援軍を得るまでの時間稼ぎに成功しました。朝鮮人は王から一兵卒に至るまで、敵前逃亡することを「伝統のお家芸」とするようになります


 朝鮮人の「伝統のお家芸」が現代史において、とんでもない悲劇を招きます1950年6月25日に北朝鮮軍が38度線を越えて侵攻を開始してから3日後、ソウル市内に突入します。当時の韓国大統領李承晩(イ・スマン)もやはり、我先に逃げました。それも、ただ逃げるだけではなく、追って来る北朝鮮軍の南下を食い止めるため、漢江(ハンガン)大橋を爆破するのです。

 ソウル市民は北朝鮮軍がソウルに入って来るのを見てはじめて、危機に気付き、避難し始めました。橋を爆破するということは彼らを見殺しにするということです。李承晩はそれをわかっていながら、橋の爆破を命じました。

 午前2時30分、市民が橋の上を徒歩で渡っている最中、橋は爆破されました。橋の上にいた市民約500~800名がこの爆破で死にました

 漢江北岸には多くの市民が取り残されました。この時、市民は自分たちが政府に見捨てられたのだと実感しました。

 しかし、政府が見捨てたのは市民だけではありません韓国軍の数千人に及ぶ部隊が未だ、取り残されていました。彼ら軍人は1000両にも及ぶ車両やおびただしい武器を持っていましたが、北朝鮮軍にそれらを接収された上、殺されました

 市民は警官、役人、地主などから順番に、北朝鮮軍に殺されていきました。北朝鮮軍が軍事侵攻をしてからわずか3日、ソウルは地獄と変わり果ててしまいます

 李承晩は大田(テジョン)に逃げ、そこまで北朝鮮軍が迫ると大邱(テグ)に逃げます。大邱にも北朝鮮軍が迫ると、釜山(プサン)に逃げました

 韓国南端の釜山まで逃げた李承晩はもうこれ以上、逃げられる所はありませんでしたが、命惜しさに、日本の山口県に亡命を受け入れてもらうよう、日本と交渉を始めています。李承晩は大の日本嫌いであったにもかかわらず、恥も外聞もありません。

 しかし、ようやくアメリカ軍が釜山近郊で、北朝鮮軍を押し返しはじめ、李承晩はギリギリのところで日本に亡命せずに済みます


 2014年、韓国のセウォル号が沈没した際、避難誘導の任にあたるべき船長が真っ先に逃げました船長は「船室で待機するように」との船内放送を流しており、修学旅行生ら293人の若い命が失われました

 1950年の朝鮮戦争の際、李承晩はラジオで「国軍が北朝鮮軍をよく防いでいる。落ち着いて行動するように」という放送を流します。大砲の音が間地かに聞こえた時、ようやくソウル市民は「これはタダ事ではない」と気付きはじめたのです。この時、李承晩は既に、ソウルから脱出していました


 朝鮮には、自分だけが助かろうとして逃げる「伝統のお家芸」があります彼らは社会や公共、更には国というものの意識を持たず、国のために戦おうという発想ももちろんなく、外敵が攻めて来ても、ただ逃げ惑うばかりでした

 朝鮮は歴史的に中国の属国にされてきました。本書で、その「歴史的隷属」がどのように朝鮮人の心を蝕(むしば)み、「精神の卑屈」を生んできたのか、また、それが長い歴史の中で、今日まで受け継がれているのかを読み解いてきました。国民が自分たちの歴史を誇ることができないこのことが歪んだ政治(北朝鮮の核問題、韓国の反日など)を生む根元的な原因となっています。


 戦後、日本は韓国に様々な支援をしてきました。その代表的な例として、1965年、日韓基本条約を締結し、日本は韓国に総額8億ドルの支援をしました

 歴代総理や外務大臣は「韓国は様々な試練・苦境を経て、今がある。少々のことならば寛大に……」ということで、韓国の要求を受け入れてきました。

 直近では、2015年の日韓外相会談によって、日韓合意が結ばれました。これは慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」を示したものですが、文在寅(ムン・ジェイン)大統領は2017年の12月、「政府間の公の約束であっても、大統領として、この合意で慰安婦問題が解決できないことを改めて明確にする」と表明しました。

 文政権は日本と対立する一方で、北朝鮮には媚びへつらい、友好関係を築こうと必死です。

 「少々のことならば寛大に……」という我慢には、限界があります。それでも、我々は韓国や北朝鮮が特殊な歴史を経た特殊な国であることをよく認識し、この厄介な隣国隣人と関わっていかざるをえません。これは日本の宿命です。


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(感想・意見など)

 今日、3月1日は、100年前に韓国で「3・1運動」が起きた日である。
 ウンザリすることに、韓国の文在寅大統領は、「2019年は大韓民国建国と臨時政府樹立100年を迎える年だ」と歴史の捏造に必死である。

 韓国には誇るべきことがほとんどないので気持は分かるが、捏造はイカンでしょう。何かおかしなことが起こらねばいいが…。


以上


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プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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