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燕雀(えんじゃく)安くんぞ鴻鵠(こうこく)の志を…

燕雀(えんじゃく)安くんぞ鴻鵠(こうこく)の志を…
 産経新聞2018年12月16日
燕雀(えんじゃく)安くんぞ鴻鵠(こうこく)の志を…
 和歌山県田辺市神島(かしま)

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燕雀(えんじゃく)安くんぞ鴻鵠(こうこく)の志を…
  昨日の本津川東岸の桜。満開。今日は桜散らしの雨となった。
燕雀(えんじゃく)安くんぞ鴻鵠(こうこく)の志を…
 昨日の本津川中洲の亀たち。天気が良かったので沢山の亀たちが甲羅干しをしていた。
燕雀(えんじゃく)安くんぞ鴻鵠(こうこく)の志を…






 
 燕雀(えんじゃく)安(いず)くんぞ鴻鵠(こうこく)の志を…


 かねてから南方熊楠(みなかた・くまぐす)に興味をもっている。
 落ち着いたら、伊勢神宮や熊野古道、南方熊楠記念館などに行ってみたいと思っている。南方熊楠記念館は当然田辺市にあると思っていたが、どうやら違うらしい

 現在、「地域おこし」やら「地方創生」やらで、何か有力なネタはないか地方は必死で探している。それを当時の田辺市長は愚かにも袖にした。


 熊楠は1929(昭和4)年、和歌山県神島(かしま)に昭和天皇行幸の際、神島の林中を案内、長門(ながと)の艦上で粘菌や海中生物についてご進講した。その際、キャラメルの箱に入れた粘菌の標本を献上している。

 昭和天皇は、この時のことが相当印象深かったらしく、1962(昭和37)年30数年ぶりに南紀行幸啓の際、
 「雨にけふる神島を見て、紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」と詠まれた。


 産経新聞2018年12月16日に南方熊楠のことが載っていた。抜粋してご紹介します。


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 南方熊楠 死後、記念館と顕彰館に分散
 「知の巨人」 奇行や偉業の評価色濃く


 世界的な博物学者で、生物学や民俗学でも重要な役割を果たした和歌山県出身の「知の巨人」、南方熊楠(みながた・くまぐす)(1867~1941年)が残した膨大な資料の保管先は死後、同じ県内の「南方熊楠記念館」(白浜町)「南方熊楠顕彰館」(田辺市)に分かれた。

 地元住民の間でも、今なお「田辺の一級品の資料が白浜に奪われた」などの誤解が根強いが、分散した経緯には、熊楠らしい〝奇行〟や先駆的研究に対する評価が色濃く反映している。  (井上亨さん)


 生態学の先駆者

 生物学者としては粘菌の研究で知られ、現在では生態学(エコロジー)の先駆者として注目される熊楠は、子供の頃から人並外れた記憶力を発揮。英語やフランス語、イタリア語、ドイツ語、ラテン語、スペイン語などを使いこなしたとされ、分野にとらわれない研究成果を膨大な論文やノート、日記の形で残した。

 そんな知の巨人が昭和16(1941)年に死去すると、妻の松枝と長女の文枝、文枝の夫の岡本清造(日大経済学部教授)は、書庫に残された書籍や資料、標本の整理を始めた。

 膨大な数に驚いた岡本は「この人はすごい。もっと世間に知ってほしい」と思い、当時の田辺市長に資料館の建設を陳情した。

 しかし熊楠の業績は当時広く知られておらず、数々の〝奇行〟ばかりが目立っていたため、市長も「何でこんな変人を顕彰しなければならないのか」と建設を拒んだとされる。

 結局、岡本は自分たちで資料館の建設決め、寄付運動を始めた。この呼び掛けに白浜の住民らが賛同。土地を提供するなどして現在の南方熊楠記念館が昭和40(1965)年に開館した。

 今も館内に保管される数多くの資料や標本、愛用品などは、文枝と岡本が寄贈したものだ。


 業績を再評価

 熊楠は死後、時間の経過とともに、国内外の知識人から「知の巨人」として見直され熊楠邸が残る田辺市でも業績を再評価する機運が高まりをみせた。

 邸宅保存を目的に昭和62(1987)年、田辺市で南方熊楠顕彰会の前身組織が発足、平成元(1989)年に熊楠を顕彰する基金が設立された。平成12(2000)年に文枝が亡くなると、熊楠邸にあった蔵書、遺品、標本などは市に寄贈された。

その保管先として資料館の建設計画が一気に進展。市は、すでに購入していた熊楠邸の隣地を利用して平成18(2006)年、「南方熊楠顕彰館」を開館する。


 両館ですみ分け

 それでも田辺市に建設されたことで、結果的にみれば、熊楠に関連する施設は白浜町と分散される形になった。

 ただ、両館では一応の〝すみ分け〟もできている

 白浜町側は主として実物の資料を展示田辺市側は熊楠の資料を活用した研究に重点を置いている。

 そのため田辺市側は、研究目的で事前に申し込みがあれば資料を閲覧できるが、実物の一般公開はしていない。谷脇幹雄館長は「熊楠に関する入口の部分は記念館で、それ以上を知りたい人は顕彰館に」と紹介する。

 さらに、熊楠の一級の資料を白浜に「奪われた」とする地元にも今なお根強い〝誤解〟の解消に向けて、「(両館)建設の経緯を知っていただきたい」と話し、来館を呼びかけている。


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(感想・意見など)

 当時の田辺市長が愚かであったとしか言えない。現在の田辺市の人口は7万人余。白浜町は2万人。田辺市民が白浜に「奪われた」と考えるのは勘違いもはなはだしい。逆恨み。田辺市にチャンスは十分にあった。白浜町民が賢明であっただけ(私も熊楠の貴重な資料・遺品などが散逸しなかったことに感謝する)。

 南方熊楠が(異端ではあるが)世界的な学者であることは50年前の私ですら知っていた。当時の田辺市長が知らなかったのであれば、和歌山大学ほかの教授など5・6人にでも問い合わせれば、その偉大さは分かったはずである。

 誰でも暗い分野はある。それを率直に認めて、その分野に詳しいひと何人かに(1人は危険)聞けばいい。枝葉(この場合は熊楠の風変わりな行動や風評)にこだわらず、太い幹の部分(本質)をみることである。


以上

 

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プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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