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16世紀のヨーロッパ


  16世紀のヨーロッパ

16世紀のヨーロッパ
 憲政史研究家・倉山満さん。(ちなみに香川県出身)

 わたしはほとんどの本を持っている。

16世紀のヨーロッパ
 『ウエストファリア体制』 (PHP新書)

 最新刊 まだ購入していない。近日中に購入予定。「ウエストファリア体制」を理解することなく近現代のヨーロッパを語ることはできない

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 岡田英弘・宮脇淳子ご夫妻。岡田英弘さんは昨年亡くなられた。わたしは大ファン。

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 『歴史とはなにか』 (文春新書) 大変な名著、目からウロコぼろぼろ。
 われわれは、嘘ばかりの世界史を教わった!

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 『岡田英弘著作集』を読むのが老後の楽しみのひとつ。

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 宮脇淳子さんは、岡田英弘さんの弟子でもある。倉山満さんとの共著もある。

16世紀のヨーロッパ
 毎日新聞2019年10月28日「風知草」 特別編集委員・山田孝男さん。

 「王岐山に聞いてみたい」

 「王岐山(おうきざん)中国国家副主席。元は歴史学者。独創的な歴史解釈を示した異端、孤高の学者、岡田英弘(一昨年死去)を評価するという」「岡田はモンゴル史を重視し、中国共産党の公式史観とは全く異なる史観を著した。その岡田に共鳴するというから、懐が深い」。

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16世紀のヨーロッパ
 わが家の棒樫。時間が取れないので9月末に剪定してもらった。少し早すぎたか?
 それがこのところの小春日和で、新緑が出てきた。まさかこの季節に!!
 これが枯れ葉となってまた落ち葉掃除かよ~!

16世紀のヨーロッパ
 近所のおばあさんの孫が喜ぶということで、ドングリを見つけたら郵便受けの下に置いておくという約束ができている。
 1日後になくなっていた。






 世界史は好きであったが、16世紀ヨーロッパに〝国〟という概念はなかったとか、ハプスブルグ家とか、ローマ教皇とか、神聖ローマ帝国…だとか言われても、全く概念がつかめなかった。特に、日本人は宗教に疎い。

 ネットサーフィンをしていて、WEB VOICEの倉山満さんのブログを見つけた。ヨーロッパ理解に役立つ。転載いたします。


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「人殺しが日常」だった16世紀ヨーロッパ…権力者は何を奪い合っていたのか?
2019年11月18日 公開 WEB VOICE 倉山満(憲政史研究家)


憲政史研究家の倉山満氏は、今こそ日本は16世紀オランダの法学者、フーゴー・グロティウスの思想に学ぶべきと提唱する。

教皇、皇帝、国王、貴族という一握りの特権階級が支配者だった時代のヨーロッパは「人殺し」に明け暮れており、「戦争」とは異なる、単なる殺し合いの日々を続けていた、と倉山氏は自著『ウェストファリア体制』にて語っている。

そんな状況において「戦争にも掟(ルール)がある」という英知を著す信じ難い学者がグロティウスだったのだ。彼の思想はのちにウェストファリア体制として実り、国際法の原型となる。

そんなグロティウスが生まれた時代の「殺し合いが日常」だったヨーロッパの情勢について触れた一節を倉山氏の著書より紹介する。

※本稿は倉山満著『ウェストファリア体制 天才グロティウスに学ぶ「人殺し」と平和の法 』(PHP新書)より一部抜粋・編集したものです



「殺し合い」の合間にあった束の間の平和
フーゴー・グロティウスは1583年生まれ、約440年前の人です。

この年、日本では賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いが行われました。羽柴秀吉が柴田勝家を破り、織田信長の後継者の地位を確固としました。長く続いた戦国時代が、終わりを告げようとしている頃です。

日本の戦国時代は、割と平和です。平和が日常で、合戦は非日常です。今の国際社会で紛争が絶えませんが、日本や欧米は何十年も戦火に巻き込まれていません。日本の戦国時代も同じようなもので、慢性的に戦いが続いている地域はあるけれども、全体的には平和が日常なのです。

一方、ヨーロッパでは慢性的な戦争が続いていました。グロティウスが生まれた頃のヨーロッパは、戦争が日常です。裏を返せば、平和が非日常です。より正確に言えば、「戦争」なんて立派なものではなく、ただの殺し合いです。殺し合いの合間に、束の間の平和があるのです。

西ヨーロッパは1945年を最後に、戦火に巻き込まれたことはありません。この地域で平和が続いた、史上最長記録を更新中です。欧米の国々は、自分たちの国の外で毎年のように戦いを繰り広げていますが、自分の国は安泰です。ヨーロッパの歴史を見ても、戦乱か圧制が日常なのです。

しかし、この数百年かけて「平和が日常」の地域になりました。その起源をたどれば、グロティウスに行きつきます。


スペインのハプスブルク家の所領地に生まれたグロティウス
グロティウスはネーデルラントのホラント州デルフトに生まれました。つまりは、オランダです。しかしその当時、まだオランダという国はありません。

本当はネーデルラントと呼ばなければいけないのでしょうが、混乱すると困るので、本稿ではオランダで通します。

オランダは、しばしば「ベネルクス(Benelux)」で一括りにされます。ベルギー(Kingdom of Belgium)、オランダ(Kingdom of the Netherlands)、ルクセンブルク(Grand Duchy of Luxembourg)です。

現在のベネルクス三国の領域に加え、フランス北東部のはずれの地域を含む所は、「ネーデルランデン」と呼ばれていました。オランダ語で「低地地方」を意味する語の複数形です。

ネーデルランデンはドイツ地方にありながら、スペイン・ハプスブルク家の所領でした。

ネーデルランデンの北部が独立をめざし、単数形で「ネーデルラント」を名乗ります。ネーデルラントは1588年に事実上独立し、1648年、ウェストファリア条約が締結されたときに正式に独立します。

オランダ連邦共和国です。ちなみに、ネーデルランデンの南部はスペイン・ハプスブルク家の領地として残ります。一旦、1815年にオランダに併合され、ベルギーとして独立するのは1831年です。


"国"という概念はなかったヨーロッパ
グロティウスが生まれた頃、オランダはスペイン・ハプスブルク家に対し独立戦争を挑んでいました。

ただ、この時代のヨーロッパには、現在と同じような意味での"国"という概念がありません。教皇、皇帝、国王、貴族という一握りの特権階級だけが支配者で、それぞれがモザイク状に所領を持っているだけでした。

特権階級は宗教貴族と世俗貴族の二つに大きく分けられます。宗教貴族の最大権威がローマ教皇です。片や、世俗貴族の最大勢力はハプスブルク家です。

ハプスブルク家は神聖ローマ皇帝とスペイン国王を輩出していました。本家のオーストリア・ハプスブルク家が皇帝を世襲していましたが、羽振りは分家のスペイン・ハプスブルク家の方が良かったのです。

スペイン・ハプスブルク家は新大陸に植民地を持ち「日の沈まない国」と称され、莫大な富を得ていました。さらに、ポルトガルを併合し同君連合を組み、イベリア半島全体を支配していました。

ヨーロッパの中心のドイツ地方を本家が、西の端のイベリア半島を分家が支配する様子は「双頭の鷲」に例えられます。ややこしいのは、本家のすぐ傍のオランダは分家の持ち物、というように、領地が飛び地だらけなことです。

分家の方はイベリア半島をがっちり抑えた上で、低地地方や新大陸を領有しています。それに対して、本家は皇帝とは名ばかり。ドイツ地方に、「三百諸侯」と言われる貴族がひしめき合っていました。

同時代の日本で、室町将軍家は存在するものの、全国に大小三百くらいの大名がひしめき合っているのと似ています。

戦国時代の日本を訪れた宣教師は、天皇をローマ教皇に、将軍を神聖ローマ皇帝に例えていました。似て非なる存在です。

足利将軍家の正式滅亡は、1858年です(通説は1573年ですが、最後の将軍の足利義昭が幕府再興をあきらめて引退するのは、この年です)。ただ足利将軍家は、最後の90年はマトモな軍事力を持っていませんでしたから、周りの実力者に振り回され続けました。

それに対しハプスブルク皇帝家は、ヨーロッパ最大の軍事力を持っています。言わば、皇帝自身が実力者なので、末期足利将軍のような哀れな存在とは違います。他の諸侯と対等以上に戦っています。

また、日本の天皇は自らが政治の渦中でプレーヤーとなることはありませんが、ローマ教皇は違います。独自の所領と軍隊を持ち、独自の発言権があります。それどころか、常に政争の中心に位置します。


宗教が殺し合いを日常にする
ヨーロッパで戦争が日常なのは、宗教問題で争っているからです。これにが絡みますから、常に命がけの殺し合いになるのです。

1517年、マルチン・ルターが宗教改革をはじめ、ローマ教皇に喧嘩を売ります。そしてルターと支持者たちは、カトリックに対しプロテスタント(抗議する者)を名乗ります。

世の中、最初から敵だった相手よりも裏切り者の方が憎いのが人情です。両者は、比喩ではなく血で血を洗う抗争を繰り返すこととなります。

カトリックの信仰を維持した地域は、西から今の国名で、スペイン、ポルトガル、フランス、ベルギー、ルクセンブルク、イタリア、ドイツ南部、オーストリア、ポーランド、エストニアです。

プロテスタントが主流の国となったのは、東から今の国名で、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、スロバキア、チェコ、ドイツ北部、スイス、オランダです。

ちなみにバルカン以東はギリシャ正教が多数派ですが、この時代は異教徒であるイスラム教のオスマン=トルコ帝国に支配されていました。

正教、旧教(カトリック)、新教(プロテスタント)が、今ではキリスト教三大宗派です。この中で仲が悪いのがカトリックとプロテスタントです。

バチカン(ローマ教皇)はプロテスタントの存在を許さず、徹底的に弾圧します。バチカン千年の歴史では、逆らった者は皆殺しにするまで戦うのが常です。

イスラム教相手の十字軍は連戦連敗で、最後は叩きのめされて終わりましたが、弱い相手には徹底します。たとえば、バチカンの教えに疑いを抱いたカタリ派などは、彼らの拠点の南仏のアルビジョアに十字軍を差し向け、本当に皆殺しにしました。プロテスタントも皆殺しにされては堪らないので、徹底抗戦するわけです。

プロテスタントのオランダが、カトリックのハプスブルクに対して独立運動を仕掛けた理由は二つです。

一つはもちろん、宗教問題。もう一つはです。オランダは経済力をつけたので、もうハプスブルクの支配を受けたくない、つまり自分で儲けた金を巻き上げられたくない、と戦いを挑んだのです。

1568年、オランダがスペインに仕掛けた独立運動は、のちに「八十年戦争」と呼ばれるようになります。最初から「80年戦うぞ」と始めたわけでもなければ、毎日連続して休みなく80年間戦っていたわけでもありません。結果として、オランダがスペインから正式に独立するまで80年間かかったので、名付けられました。

1588年にオランダ連邦共和国が成立し、事実上は独立しても、スペイン・ハプスブルク家は独立を認めません。オランダの独立運動が終わらないうちに、1618年に三十年戦争に突入してしまいます。

そして、1648年、ウェストファリア条約でオランダの独立戦争も終わりにしようとなった時、ちょうど80年が経過していたので、「八十年戦争」と呼ばれたのです。

グロティウスが生まれた時代のヨーロッパは、日本の戦国時代など平和としか思えないような、殺し合いが日常の世界だったのです。


以上



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プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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