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可能性を断念する

可能性を断念する
 山田太一さん


 私の机の前の壁に古い雑誌の切り抜きが貼ってある。タイトルは「自分の中のいろいろな可能性を断念する―本当にやりたいことを見い出す第一歩だね」脚本家の山田太一さんの言葉である。ご紹介します。


(本文抜粋)

 「今の時代は、誰でもいろいろな仕事に就ける可能性があります。特に若い人たちには限りない可能性があるように見える。可能性がありすぎて、みんな可能性地獄に陥っているんじゃないかな」

 「可能性」に振り回されているうちに、自分を見失い、結局は何の願望も実現しないはめになるのです。

 「どこかで自分の中にあるいろいろな可能性を断念して、そこに踏みとどまって、がんばる。あえて何かを選び取るべきです。自分はこの道でがんばるんだと決心すること―それが修行の第一歩です。自分の運命を受け入れ、仕事の中で飽き飽きするほどの反復を繰り返し、そんな仕事を呪ったり、もうやめようかなどと悩みながら続けてみる」

 
「『自分の感情に忠実に生きろ』とよく人は言いますが、そんなことをしていたらまとまったことは何もできない。感情なんて、あてになりません。自分の運命を選ぶことに、すべての出発点があるのです」


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(感想・意見など)

 「個性を大切にしろ」「自分らしく生きろ」「学ぶのに遅すぎることはない」とよく言われる。一面の真理である。しかしその言葉に安易に従って、いつまでも「自分さがし」を続けて、可能性地獄に陥っているもう若いとはいえない多くの人も見かける。

 なんの仕事であれ、一人前になるには十年はかかる。日本では昔から芸事を学ぶのに「守・破・離」ということが言われる。これはという仕事・師匠を見つけ、十年は愚直に懸命に頑張る。十年やっていれば、個性など出したくなくても自ずと出てくる。

 山田太一さんの言うように、「どこかで自分の中にあるいろいろな可能性を断念して、そこに踏みとどまって、がんばる。あえて何かを選び取るべき」だと思う。


以上

人の想い

人の想い
 (紅梅)


 昨日、今日あたりの新聞各紙の「ひと」欄で、このたび最高裁判事に就任した山浦 善樹(やまうら よしき)さん(65)が紹介されている。

 
 山浦さんは最高裁判事としては異例の〝庶民派〟だと思われる。自分と2人の事務員だけの東京・神田にある事務所の「マチ弁」からの転身。

 
 7年間、法科大学院でも教えてきた。学生に必ず伝えたのは約20年前バブルの頃の、古いビリヤード店が不動産業者に立ち退きを求められた案件。経営していたのは「頑固」と評判だったおばあさん

 おばあさんは移転を拒む理由を言わなかった。山浦さんは「廃業しない理由があるはず」と思った。3か月後やっと話が聞けた。出征した恋人の「きっと帰る。それまでこのキューを置いておくから」との約束を信じ、待ち続けていたのだ

 約束から40年が過ぎていた。山浦さんは説得した。「もう約束は十分果たしました。彼もきっと分かってくれます」。

 数日後、「あんたに任せた」と連絡がきた。




 

ちょっといい話

ちょっといい話
(ベゴニア)


 毎日新聞12年1月28日「近聞達見」欄、岩見隆夫さんのコラムからちょっといい話を2つ。



◆3.11からまもなく、1人のベトナム人記者が取材で被災地に入った。避難所で少年にインタビューする。
 少年は津波で両親を亡くし、激しい飢えと寒さで震えていた。一つのおにぎりを家族で分けて食べるような状況だった。

 記者は見かねて少年に自分のジャンパーを着せかける。その時、ポケットから1本のバナナがぽろっとこぼれ落ちた。記者が「バナナほしいか」と問うと、うなずくので、手渡した。

 ところが、少年はそれを食べるのではなく、避難所の片隅に設けられたみんなで共有の食料置き場に持って行き、もとの場所に戻ってきたという。

 記者はいたく感動する。帰国すると〈こういう子供はベトナムにはいない。……〉と報道した。

 この記事が大変な反響を呼ぶ。かつて、ドラマ「おしん」が大人気になったお国柄だ。ベトナムからの義援金は100万㌦(約8000万円)にのぼったが、このうち、「バナナの少年にあげてください」という条件つきが5万㌦もあったというのだ。

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◆5百旗頭真(いおきべ・まこと)防衛大校長がジョージ・アリヨシ元ハワイ州知事から聞いたエピソード。

 敗戦の1945年暮れ、占領軍の若い将校だったアリヨシは、東京・有楽町の街角で少年に靴磨きをしてもらった。寒風のなか、小柄な少年が懸命に心をこめて磨く。

 アリヨシは白いパンにバターとジャムを塗り込んだのをプレゼントした。少年は頭を下げながらそれを袋に収める。

 「どうして食べないの」

 「家に妹がいるんです。3歳で、まり子といいます」と答えた。

 少年は7歳だという。アリヨシは感銘を覚えた。5百旗頭に、
 「世界のどこの子供がこんなふうにできるだろうか。モノとしての日本は消失した。しかし、日本人の精神は滅んでいない。あの時、日本は必ずよみがえる、復興すると確信した」
 と語ったそうだ。


以上

「障害者の親」って?③

「障害者の親」って?③
(さざんか)


 11年9月21日、10月28日に続いて徳島県・阿波市の福井公子さんの文章をご紹介します。

 徳島新聞11年8月24日掲載分です。


(タイトル)

なみだ ささいな夢抑え込み


(本文抜粋)

 「とにかく働きたい。無理だと思えば思うほど、働きたくなってどうしようもないのよ」。特別支援学校の小学部に通う長男を筆頭に3人の子どもを持つ彼女。

 彼女は結婚するまで、高齢者の福祉施設で働いていた。障害児を育てている今だからこそ、もう一度、福祉の現場に関わりたいと思った。

 下の子どもたちは何とかなりそうだ。保育所や学童保育など、働く母親を応援してくれる制度はたくさんある。しかし、1番の問題は、毎日午後2時に学校から帰宅する長男だった。

 彼女は、ディサービスや有償ボランティアなど、長男が利用できるあらゆるサービスを使うことにした。何とか仕事を見つけることもできた。

 働き始めた彼女は生き生きしていた。周囲から「幸せそうね」「キラキラしてるよ」と言われるほどに。

 しかし彼女は、しばらくしてその職場を辞めることになる。「夏休みが越せない」。長男の居場所が見つからないのだ。

 ヘルパー事業所や障害児施設では、児童ディサービスや日中一時支援といった福祉サービスがあるが、約40日という期間、毎日預かってもらうのは難しい。さらに、重い知的障害がある長男が過ごせる地域の学童保育も見つからない。やりたい仕事に就けない彼女は今も、もんもんとしている。

 「母である前に〝私〟でありたい」と彼女は言う。母である自分が元気でなければ、子どもを育てる、ましてや障害児を育てるエネルギーは出てこないと。

 しかし、彼女や私のように考える親は少ないようだ。「障害児がいるんだからしょうがない」「子どもが1番、自分は2番」。そういった声が圧倒的に多い。私自身も息子の障害が分かったときは、それまで漫然と描いていた未来の自分が、一気に崩れた気がした。

 また、障害のある子どもを持つ友人らからは、たまに子どもを預ける際に、先方には「迷惑を掛けて申し訳ない」という思いを、わが子には「環境の変化が苦手なのに、申し訳ない」という罪悪感を抱いてつらくなるという話もよく聞く。

 障害のある子どもを持つ親が阿波市などで開いているワークショップで、自分の夢や、したいことを語るワークをしている。「一晩でいいから、ゆっくり眠りたい」「コンサートに行ってみたい」出てくるのは、どれもささやかなものだ。中には「看護師を続けたかった」などと、子どもを産む前の夢を思い出し、泣き出す人もいる。

 抑え込んでいる自分の思いに気付くこと。それは障害児の親にとって、かえってつらいことなのかもしれない。

 それでも、そんな気付きがあるからこそ、その先の一歩に進めるのではないかと感じている。


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            な み だ


次男が養護学校を卒業して通所施設に通い出したある日
私は映画を見に出掛けました   けれど…
昼前に始まった映画がクライマックスに差し掛かったころ
最後まで見る時間がないことに気が付きました
養護学校の時よりも1時間ほどお迎えがおそくなったので
私はすっかり自由になったと錯覚していたのです

私は施設へ車を走らせながら、涙が止まりませんでした
涙は後から後からあふれました   それは怒りの涙でした
長男は就職 次男も学校を卒業  子育ては終わったはず
なのに、どうして映画ひとつ見ることができないの?!
10年以上前、サービスらしいサービスなどなかった時代
その涙をエネルギーとして、私は
生活支援サービスのモデルを立ち上げる活動を始めました

今も自分の気持ちが抑えきれないことがあります
それは、障害がある人にも、私たち家族にも
人として当たり前の権利がないことです
普通に働いたり、遊んだり…
できないことがいっぱいあることです

気持ちが抑えきれない時、私はよく人に当たりました
福祉課の窓口の人とか、施設の職員とか…八つ当たりです
でも、その後は決まって惨めな気持ちになるのでした

障害児の親の会を通して社会に働きかけようと思ったのは
そんな自分に決別したかったからです

クリスマスのちょっといい話

クリスマスのちょっといい話
(川上未映子さん)


 徳島新聞11年12月24日「鳴潮」欄にクリスマスのちょっといい話が載っていた。ご紹介します。


(本文抜粋)

 作家の川上未映子さんは貧しい家庭に育った。朝から晩まで働く母親を見ていると、かわいそうで、あれが欲しい、これが欲しいとは言えない。クリスマスが来てもうれしくなかったという。

 そんな子どものころの12月のこと。母親とスーパーに出かけた。母親が食品売り場に行っている間、ワゴンに積まれた服の山を見ていた。小さなフリルがついた白いトレーナーが欲しくてたまらない。だが、母親の姿が見えたとたん、ワゴンの一番下に隠してしまう。

 
 それから数日たったクリスマスの朝のこと。目が覚めると、そのトレーナーが枕元に置いてあった。涙が後から後からあふれて、それから毎日、そのトレーナーを着たという。(「母とクリスマス」=エッセー集「世界クッキー」より)

 川上さんは言う。「わたしのたったひとつのクリスマスの思い出は、喜んだわたしを見て、本当にうれしそうだった、母の顔」。


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川上未映子さん(35) 大阪市生まれ 作家、ミュージシャン

 「乳と卵」で芥川賞受賞
 「ヘヴン」で芸術選奨新人賞受賞 他

 2011年芥川賞作家の阿部和重さんと結婚。来夏出産予定。
プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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