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「経営者ゴーン」の功罪

「経営者ゴーン」の功罪
 朝日新聞18年11月23日
「経営者ゴーン」の功罪
 毎日新聞18年11月24日

 11月22日の日産取締役会では、ルノー出身の取締役2人は、「事態がよく分からない。態度を決める前に事実関係を知りたい」と解任に反対しそうな雰囲気もあったという。しかし、長時間にわたる証拠も示した説明で、「これはひどい」「少数の人間でこんなことをしていたのか」と驚きに変わり、ゴーン、ケリー2人の解任は全会一致で決まったという。

「経営者ゴーン」の功罪
 日経新聞18年11月23日
「経営者ゴーン」の功罪
 初代日産リーフ電動車(EV)ということで期待したが、航続距離の問題とともに、あまりにもスタイル(外観)が悪すぎた。私はドン亀と呼んでいた。日産はデザインの良し悪しが非常に大事だということを過去痛いほど学んだはずである。何を考えているのか?

「経営者ゴーン」の功罪
 毎日新聞18年8月23日
 アメリカはあまりにも剥き出しの容赦ない資本主義のため、若者のなかには社会主義に憧れる者が増えている。
 貧富の差を是正する措置を講ずるべきである。

「経営者ゴーン」の功罪
 国道11号線を高松市から旧国分寺町(現在は高松市)に入るとすぐにイチョウ並木になる。この時期は特に目立つ。
「経営者ゴーン」の功罪
 庭に樫(かし)の木が十数本ある。去年はどんぐりが大変多かったが、今年は本当に少ない。裏作というものがあるのか?夏の猛暑のせいなのか?





 「経営者ゴーン」の功罪


 日産会長だったカルロス・ゴーン氏が伝えられるように会社を食いものにするほど強欲だとは知らなかった。しかし、5年半以上前のブログに書いたように、私は世間が言うほどにはゴーン氏を評価してこなかった。年間10億円ほどの役員報酬に関しては、世界基準からして当然だと思っていたので文句はない(アメリカの一部経営者はベラボーで問題)。

 2000年頃からゴーン氏がやってきたことは、日産建て直しのため、剛腕で、あらゆるしがらみや私情を排してやるべきことをやっただけである。そのやるべき計画というのは日産社内から出てきた。それらをまとめたのが「日産リバイバルプラン(NRP)」である。

 ゴーン氏を評価してこなかったというのは、日産建て直しに10年かかった(~2010年)として、その後の約10年、少なくとも日本の国内市場を見る限り、魅力的なクルマがほとんどないことである。それが証拠に、かつてはトヨタと覇を競っていた日産が、今では国内5位メーカーになり果ててしまっている。この先数年を見ても魅力的なクルマは出てきそうにない(車雑誌には2年程先の情報まで載っている)。車会社は車で勝負すべきである。そこにあまり期待できそうにない。


 2018年11月23日の日経新聞編集委員の西條都夫さんが、『「経営者ゴーン」の功罪』というコラムを書いている。日産ウォッチャーの私は、西條さんの見方に100%同意する。ご紹介します。


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 カルロス・ゴーン元会長の「犯罪」に注目が集まっているが、ここでは事件からあえて距離を置き、企業のトップリーダーとしてのゴーン元会長の功罪を分析してみる。

 ゴーン元会長の日本での歩みの中で最大の衝撃をもたらしたのは、日産に赴任直後の1999年10月に発表した「日産リバイバルプラン(NRP)」だ。当時の日産は業績が長期にわたって低迷し、売れ筋の車にも乏しく、自動車業界でも「日産は終わった」と突き放す見方が多かった。

 その危機を救ったのが仏ルノーから送り込まれたゴーン元会長の聖域なき改革であり、その基本設計であるNRPだ。ほぼ手つかずだった工場閉鎖や人員削減、「系列破壊」とまでいわれた調達改革などを断行し、長年の非効率にメスを入れた

 影響は自動車だけでなく、隣接産業にも波及した。川崎製鉄とNKKの統合など鉄鋼再編が加速したのは、ゴーン改革による調達先の絞り込みが直接の引き金だった。

 こうした改革の結果、日産はV字回復を果たした。「日産が悪くなったのはしがらみを断ち切れなかった経営のせいで、開発や生産などの車づくりの実力まで落ちていたわけではなかった。ゴーンさんは私たちにそれを気づかせてくれた」と日産社員は振り返る。


 自信回復の波は他の日本企業にも広がった。2000年ごろのいわゆるITバブルの崩壊で業績が悪化したのを機に、松下電器産業(現パナソニック)コマツは事業や関連会社を思い切って整理し、業績を立て直した。

 一時的な痛みは覚悟のうえでウミを出し、心機一転、再出発する――。基本的な発想はゴーン改革と同じであり、そこから学ぶことも多かったのだろう。コマツの再生を主導した坂根正弘元社長は「ゴーンさんは常に意識する存在だった」と述べたことがある。

 
 今から振り返れば、ゴーン元会長が日産の経営に専念していた05年までが最も輝いていた時期かもしれない。ルノーと日産の両社のトップを兼ねるようになって以降はやや精彩を欠いた。

 中国への積極投資や三菱自動車への出資などで日産・ルノー連合の規模はトヨタ自動車と肩を並べるまでに巨大化したが、収益性やエコカーの技術力などもろもろひっくるめた会社の総合力ではまだまだ差が大きいのが実態ではないか。

 「コミットメント(必達目標)」はゴーン経営の代名詞にもなった言葉だが、実は最近の中期経営計画はほとんど未達に終わっている。17年3月期までの6年間の計画「日産パワー88」は期間中に電気自動車を150万台売るという目標を掲げたが、実績は30万台前後にとどまった。

 目標と結果がここまで乖離するのは、そもそも計画を策定する側が市場の実態をきちんと把握できていないか、販売や開発の士気がよほど低下しているのか。いずれにしても、会社が重大な問題を抱えているというシグナルに違いないが、そこに日産経営陣が機敏に手を打つ気配は感じられなかった。

 過去19年でゴーン元会長は何を残したか、その歴史的評価が定まるのはゴーン元会長が去ったこれからかもしれない。


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(感想・意見など)

 自動車業界は現在100年に1度という大変革期にある。CASEと言われている。はコネクティド化、クルマがありとあらゆるものに「つながる」時代になる。は自動運転。2019年には完全自動運転車を実現すると言っているメーカーもある。はシェア化、サービス化。時代は「所有から共有」へと変わっている。は電動化。徐々にエンジン車から電動車に移っていくと言われている。

 AI(人工知能)が幅を利かす時代になる。今後10年から15年で世界はガラリと変わる。些事(さじ)にこだわってはならない。大きな流れを見失なわず対処するほかない。


以上


日産迷走は日本企業の大問題

何を売り物にすべきか?
 週刊東洋経済17年1月28日号
何を売り物にすべきか?
 ドベネックの桶 
 企業経営は芸術。色々な要素のうち、どれかひとつでも欠ければ、企業はたちまちおかしくなる。また、これで完成型というものはない。生々流転(せいせいるてん)。変化に対応できないものは潰れるだけである。

何を売り物にすべきか?
 日経新聞17年1月12日。17年1月の「私の履歴書」は日産自動車社長のカルロス・ゴーンさん。
 
 私は中学生のころからの日産ウォッチャー。1970年頃までの日産は素晴らしかった。ブルーバードP510などは今見ても名車と言える。しかし、その後はメタメタ。労組が強すぎたのか、迷走が続き、結局フランスのルノー傘下で再建することになり、ゴーンさんがやってきた。ゴーンさんがやったことは、2段ほど高みからみて、しがらみを断ち切り、為すべき当たり前のことをやっただけ。優秀な日本人幹部もいた筈なのに何故できなかったのか?東芝といい、日本の組織の大問題。

何を売り物にすべきか?
 讀賣新聞17年3月1日

 東芝は虎の子の半導体事業を分社化して、その株式の過半を複数社へ売却する予定だという。経営者の判断ミスで、140年の歴史がある従業員19万人の大会社が解体されようとしている。そもそもは米・原発メーカー・ウエスチングハウス(WH)社を高値で買収したことにある。私でも悔しいのだから、関係者の無念はいかばかりか。

何を売り物にすべきか?
 毎日新聞17年2月18日 よこたしぎさん。

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日産迷走は日本企業の大問題
 讀賣新聞18年11月20日
日産迷走は日本企業の大問題
 しんぶん赤旗18年11月21日

 常日頃はほとんど意見を異にする日本共産党の赤旗であるが、役員報酬に関しては考え方は近い。
 ただ、日本の普通の大企業の役員報酬は少なすぎる。アメリカはベラボー。社会民主主義的考え方が浸透している欧州程度が妥当ではないか。そういう意味で年間10億円くらいまでは許容すべきと考える。

日産迷走は日本企業の大問題
 香川県立図書館(補修工事中)
日産迷走は日本企業の大問題
 最もいい季節。






 日産迷走は日本企業の大問題


 先日、約5年半前の日産に関するブログを再掲した。私は中学生のころからの日産ウオッチャー。1980年代の「901運動」あたりが日産のピークか。1990年頃からか、日産があまりにも迷走し、メタメタなので興味を失くしていた時期があった。

 私は、「ゴーン神話」とか「V字回復」などは信じてこなかった。日本の役員は、生え抜きの社員が30年~40年かかってやっと役員になる。それまでに色んなしがらみができる。また、大企業は大抵、事業部(部門)がいくつかあって、事業部(部門)間の人事交流はあまりなく、役員になってからも自分が属していた事業部(部門)の利益代表になりがちである。

 ゴーンさんのように落下傘でそれまで何の縁もなかった大企業に入って、半年や1年でその大企業が分かるはずがない。結局ゴーンさんがやったことは、日産の経営企画部門の人たち(恐らく100人はいる)に、工場、下請会社、販売店、社内組織、労組などのしがらみを一切考慮せず、冷徹に最大利益を上げるためにはどうすればいいかを考えさせたはずである。
 
 ゴーンさん自身がどこかで言っていたが、「日産リバイバルプラン」は、それまで日産社内にあった私心のない意見を集約しただけのものである。それを、瀕死の重体にあった日産の抵抗勢力に、ルノーからもってきた8000億円の金を背景に恫喝し、「コストカッター」として強力に推進しただけである。

 また、「V字回復」ということもよく言われるが、多少経理をかじった身としては眉唾ものである。会社の成績というのは、ある範囲で合法的に修飾(お化粧)できる。松下電器などもその気があったが、自分の責任範囲外の前期の業績を目いっぱい悪くしておいて、次の期に「V字回復」を演出するのはよくあることである。

 ゴーンさんの功は7、罪は3。あまりにも強い私的野心や違法に自らの利益を図ろうとしてきたことは非難さるべきものである。晩節を汚した。10年で辞めていれば、本人も有終の美を飾れたであろうし、日産にとってもよかったはず。あとは公正な司法に委ねるしかない。クルマ好きとして、現在の日本市場を見るかぎり、魅力的な日産車はほとんどない。

 昔からの日産ウオッチャーとしては、ベクトルを合わせず、角突き合わせ続けて、肝心の日産を迷走させメタメタにした歴代経営者や労組委員長に最大の責任があると言いたい。社内政治ではなく、お客様の方を向いてもらいたい。これからの経営者には肝に銘じてもらいたい。


 2017年3月1日のブログ「何を売り物にすべきか?」を再掲致します。


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 (再掲)何を売り物にすべきか?


 かつて、日本企業は、欧米企業に追いつけ追い越せと頑張ってきた。現在、日本企業は、韓国や台湾や中国企業などに追い上げられている。いま、日本の大企業は、社内留保が厚く、金利も低いため、M&A(合併・買収)に励んでいる。中には東芝のように大やけどをする例も多い。三菱重工もうまくいっていない。先日読んだ経済誌には、キリンがブラジルで千億円単位の損失を出したと出ていた。かと言って今のままではじり貧の一途である。今後、日本企業は何を売り物にすべきか?


 週刊東洋経済1月28日号「経済を見る眼」欄、神戸大学大学院教授・三品(みしな)和広のコラムを抜粋してご紹介します。


 〝事業を売る〟時代の生き残り術


 企業は何を売ることを生業(なりわい)とするのか、またはすべきなのか。この問いにモノやコトと答えているようでは、世界の趨勢から絶望的に取り残されてしまいかねない。

 大量生産は19世紀の後半に萌芽を見せ、20世紀の前半に普遍化した。そしてく供給不足が解決すると、ボトルネックは需要不足にシフトする。かくしてモノを自ら造るより、誰かが大量に造ってしまったモノを売りさばいてみせる側が儲かる皮肉な状況が定着した。

 20世紀後半は広告〝媒体を売る〟民放テレビ局、21世紀前半は広告への〝誘導路を売る〟グーグルが、さしずめ儲け頭といったところであろうか。

 他方、儲からなくなってしまったモノ造りサイドも黙ってはいない。たとえば自動車メーカーが自動車と抱き合わせで〝ローンを売る〟という具合に、付帯サービスで儲ける方向に進化を遂げてきた。

 その行き着く先は、川上では導入前のコンサルティング、川下では導入後のメンテナンス、すなわち〝ソリューション(注:解決策)を売る〟という姿である。その延長上で、IOTを活用する米GEやドイツ勢は〝生産性向上策を売る〟方向に転進しつつある。

 しかしながら、供給サイドが利益を取り戻すという流れの中では、もっと恐ろしい動きが出ている。それは〝事業を売る〟という事業の興隆にほかならない。

 たとえばワインを売るという事業は意外と儲からない。うまいワインを醸造しても、うまいワインは次から次に出てくるからである。その反面、ワイナリーは慢性的な供給不足で、賢い人はそれを富豪に売り、手にした資金で次の畑を買いに行く。誰も見向きもしない土地を安く手に入れ、そこから世界をあっといわせるワインを送り出し、またワイナリーを高く売る。

 この手のシリアル(注:連続)起業家が、創薬でもITでも儲けまくる姿こそ、時代の最先端と言ってよい。電脳化の進展に伴ってオペレーションの遂行能力や管理能力はコモディティ(注:日用品、一般商品)と化してしまった。そこでどんなに頑張っても、もはや報われることはない。希少価値を持つのは、今や意外なネタを発掘する目利きの能力なのである。


 米国企業は、大量生産をマスターしたいと願う日本企業に技術を売って1960年代に一儲けした。そして米国市場でモノを売りたいと願う日本企業に各種のソリューションを提供して、今度は製造業と異なる土俵で儲けた。それが70年代から80年代にかけての進展である。その後は新たな成長エンジンを求める日本企業に事業を売って儲ける技に磨きをかけている。

 カネで買えないものを買えるようにすることこそ事業を通した社会貢献であって、米国の進化は正道であろう。時間を買いに出るM&Aも結構だが、そろそろ日本企業も、買う一方の「優良顧客」を卒業して、売り物を見直すべきときを迎えている。


 ただし、米国の進化には資本主義の首を絞める側面がある。モノ造りが儲かる時代は労働者の多くも成果の配分にあずかることができた。ところが、進化の帰結として価値の源泉が少数の目利きに集約するようになると、そうはいかない。となれば、かつての労働者の何割かを目利きに転化させるような教育改革が避けて通れない。そこが国家間の新たな主戦場になるのではなかろうか。


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(感想・意見など)

 教育改革も必要だが、累進課税の強化など格差是正にも取り組むべきである。世界的に格差が広がり過ぎている。また、20年先くらいになるか、AIの進化でなくなる仕事が増えてくると予想されている。BI(ベーイックインカム)の導入なども必要になるかもしれない。


以上


目が点になり、膝がくず折れそうになった

目が点になり、膝がくず折れそうになった
 讀賣新聞18年10月24日
 この記事を読んで、目が点になり、膝がくず折れそうになった。
目が点になり、膝がくず折れそうになった
 AERA18年11月5日号 「ぐっちーさんのここだけの話」
 ぐっちーさんは、モルガン・スタンレーを経て投資会社でM&Aなどを手がける。

 私の知る限り、私と同じような反応をしたのはぐっちーさんだけ。あるいは同感であっても記者は相手が経団連ということで書かないのかもしれない。経団連加盟会社は日本を代表する大企業ばかり約1500社であり、最大の広告スポンサーである。それはそれで情けない。

ぐっちーさんはこう書いている。
これを放置してきた状況というのはもう笑うレベルを超えて背筋すら寒くなります

目が点になり、膝がくず折れそうになった
 毎日新聞18年11月6日

 昔、楽天の三木谷社長だかソフトバンクの孫社長だかが経団連を批判したことがある。
 この度のこともあり、経団連は、企業の入会資格要件を「純資産10億円以上」から「同1億円以上」に緩和した。IT(情報技術)企業やベンチャー企業の入会を促す狙いがあるという。

 世界で伸びているのはGAFA(ガーファ:グーグル、アップル、フエイスブック、アマゾン)などである。なにを今さら。

目が点になり、膝がくず折れそうになった
 ソニー創業者(左から盛田昭夫、井深大、大賀典雄)

 それにつけても残念でならないのは、1993年11月にソニー会長の盛田昭夫が早朝テニスのプレー中に脳内出血で倒れたことである。その日は、盛田が1994~1998年の経団連会長に内定するはずの日であった。
 
 もし盛田が倒れていなかったら、95年からのパソコン(PC)ブームに乗れていたはずであり、さらに言えば、バブル崩壊後の日本経済の運営をもっとうまくやれたと思われる(日米経済協議会の会長でもあった)。

目が点になり、膝がくず折れそうになった
 経団連会館(東京都千代田区大手町一丁目)

目が点になり、膝がくず折れそうになった
 讀賣新聞18年8月24日
 
 1995年は日本の(あるいは世界の)パソコン元年であった。
 私も仕事にパソコンを使っていたのでよく知ってているが、それまでのMS‐DOS、ウィンドウズ3.1から95になって非常に使いやすいものになった。またこの頃から、例えば予算書を作った場合、それまでは本社にフロッピーディスクで送っていたのを、Eメールに添付してピッと送ればよくなった。

 95年当時、私は東京にいて全国に散らばった200数十人に連絡書を送る必要があった。Eメールが普及して大変助かった。紙やファックスで送ることを考えるとゾッとする。会社はPC1人1台環境に務めた。金はかかったが、効率はぐんと上がった。
 95年のPCの世帯普及率は15~16%であったが、現在は約8割(スマホで間に合うという人も増えてきた)である。
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目が点になり、膝がくず折れそうになった
 日経新聞18年11月2日 「ペンス副大統領演説」

 10月4日のハドソン研究所における米ペンス副大統領の演説今後数十年間の米中関係を規定する非常に重要なものだと思われる。チャーチル英元首相がソ連を批判した「鉄のカーテン」演説に匹敵し、「新冷戦」の始まりを告げたとの見方が外交専門家に広がりつつある。

 日経新聞が、ほぼ1月遅れではあるが、全面を使って詳報している。これだけの重要情報を、他紙は極めてなおざりである。モリカケのデタラメな報道といい、政治活動(恫喝?)をして本社社屋敷地の国有地を安く払い下げてもらったことといい、消費税の軽減税率適用といい、日本のメディアは問題が多い

目が点になり、膝がくず折れそうになった
 同上。一部を拡大したもの。

 ペンス副大統領の演説は、政治、経済、軍事、宗教、人権問題にまで及び包括的な内容となっている。
 これらの認識は、大統領が変わろうとも、民主党政権になろうとも、ほとんど変わらないと思われる。米中摩擦は数十年間は続くのは間違いない。

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目が点になり、膝がくず折れそうになった
今年7月に開通した峰山トンネル。地権者の抵抗で開通はかなり遅れたが、よく利用されている。私も助かっている。
目が点になり、膝がくず折れそうになった
 トンネル東側(西春日町)にできた医療・介護・キッズハウス。この地は今まで東側180度しか商圏として見込めなかった(当然地価は安い)が、トンネルが抜けたことにより360度商圏になるので作ったものと思われる。
目が点になり、膝がくず折れそうになった
 
 通るたびに駐車している車の数を目測している。私の場合は、起業して6カ月目に損益分岐点売上高に達したが、それまで毎月100万円ずつ持ち出しであった。計算通りではあったが、今でも当時を思い出すと心臓がバクバクする。投下資本をすべて回収するにはまだ数年かかる見込み。商売は簡単ではない。
 早目に一定以上の顧客を獲得しないと赤字は膨らむ一方になる。ここはどうなるか?





 目が点になり、膝がくず折れそうになった


 讀賣新聞18年10月24日の記事「解剖 財界」の最後のほうを見て、目が点になり、膝がくず折れそうになった


 そこにはこう書かれてあった。

 「経団連会館の23階にある会長執務室。中西(日立会長)が部屋の主(あるじ)になった5月、卓上に初めてパソコンが備えられた。中西は事務局の役員やその部下らに、メールで施策の進捗状況などを問う。部屋でパソコンを探る財界総理はいなかった

 「メールを受け取った職員の1人は言う。『最初は本当に驚いた。これが中西さん流だ。主に紙でやり取りしてきた職員の働き方も変えようとしている』


 ぐっちーさんが「背筋が寒くなる」と言い、私が「目が点になり、膝がくず折れそうになった」と言うのも分かってもらえると思う。

 日本の一流大企業の総本山がこれ。経団連会長は「財界総理」とも言われ、日本の政策に様々な影響を及ぼしてきた。それが、世間一般から四半世紀も遅れている。本来は、世間をリードする存在であるべきニッポンは大丈夫か!!??


以上


企業を経営するということ

企業を経営するということ
 ①毎日新聞18年6月20日
企業を経営するということ
 ②毎日新聞18年1月22日
企業を経営するということ
 今朝の新聞に入っていた農作業受託折込チラシ
 間もなく稲刈りが始まる。いろいろな所でサルスベリやムクゲが咲いているが、今年は猛暑、カンカン照りが続いたかと思えば豪雨、台風の連続。花が小さく色もくすんでいる。あちこちの野生のシラユリも小さく冴えない。果たして稲は?

企業を経営するということ
 3・4日雨が降り続いたら棒樫に芽がいっぱい出てきた。
企業を経営するということ
 カンカン照りの間も、この植物とアゲハチョウ4羽が飛び交っているミカン科の木にだけは毎夕水をやってきた。この植物は2mを超えた。どんな花を咲かせるか?





 企業を経営するということ 


 ①毎日新聞に週一で「馬場正男と撮影所 京都カツドウ屋60年」という勝田友巳さんの連載がある。これが面白い(学生時代の京都・太秦(うずまさ)撮影所でのアルバイトが理解を助けている)。大映(だいえい)の物語である。

 日本の映画界は戦時中、松竹、東宝、大映の3社体制であった。大映の初代社長は作家の菊池寛。戦後、菊池が公職追放になった後を継いだのが永田雅一(ながた・まさいち)。永田はワンマンで思いつきで経営する人(〝永田ラッパ〟)で、1971年に大映を潰してしまった。

 1974年に新生大映を率いたのが徳間康快(やすよし)。この人も永田と同じく怪人で、映画、出版(徳間書店)、教育、文化事業などを率いた。因みにスタジオジブリ初代社長でもあった。2000年徳間康快死去。2002年に角川に引き継がれる。

 
 毎日新聞18年6月20日掲載の第171回分を抜粋してご紹介します。新生大映の話です。9年前の民主党政権を思い起こさせます。


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 組合評価で管理職に


 新生大映は労組が会社になったようなものだったから、管理職は全員が急ごしらえだ。徳間康快社長は労組との経営協力を約束し、労組に近い武田敦を取締役に加えた。部課長の職制は組合員同士の推薦や、労組内での評価が基準となった

 昨日までは現場を走り回っていた職人が、管理職の肩書と責任を背負わされる。作業服が背広になり、同志は上司と部下に分かれた。人数のばらつきがあったから、それまでと全く異なる部署への配転も余儀なくされる。

 京都撮影所の撮影部にいた宮島正弘は、営業部の辞令を受け取った。カメラマンになりたいと大映に入り、経験も積んできただけに「何でオレが」とがっくりきた。とはいえ生活もある。「組合の人たちでは映画は作れない。みんな使われる人やから、人を使えない。事が決まらない。決めようとしない。一言『いいよ』と言えば済むことを、組合的に解決しようとして時間だけかかる。会社は何年もつかなと思ってました」

 馬場正男は配置転換にはならなかったが、美術係長の肩書を与えられた。現場に出る機会が減り、事務仕事が増えていく。馬場の目にも、新生大映はギクシャクしていた。

 「労働者だけで経営できまへんね。おれは装置やから、これしかせえへん、おれは照明だからでけへんと。これでは回らへん。組合は権利ばっかり言うてね、義務がない

 意気は軒高でも、新生大映の足元は心もとない。2年半の再建闘争の間に、映画界でも大映抜きの体制が固まっていた。


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 ②毎日新聞18年1月22日追悼欄に元赤軍派議長 塩見孝也(しおみ・たかや)さん(76)が載っていた。

 赤軍派といえば、連合赤軍は山岳ベース(基地)で仲間を14人集団リンチで殺害、あさま山荘事件など、日本赤軍はテルアビブ空港乱射事件(100人以上死傷)、ドバイやダッカ日航機ハイジャック事件、ハーグ事件、クアラルンプール事件、ジャカルタ事件などで有名。

 塩見孝也は、赤軍派を結成し、構成員が起こしたよど号ハイジャック事件を共謀したなどとして、20年の獄中生活。その後、66歳にして始めて労働を体験した。シルバー人材センターに登録し、駅前にあるスーパーの駐車場管理時給950円の職を得た。

 「一日の労働をやり遂げた後、湧き起ってくるくる、何とも言えない満足感、達成感とでも言い得る喜び」。

 しかし、世の常であるが、人材センターが駐車場管理人の合理化案を発表。市を相手取って「公開質問状」や「管理人総会の提案」などを矢継ぎ早に提起。市会議員に立候補するも敗れる。


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(感想・意見など)

 やはりバランスのとれたまともな経営者は必要である。

 元赤軍派議長・塩見孝也さんの66歳にして初めて労働には驚いた。それまで仲間からの援助や労組からのカンパ、あるいは女に貢がせていたか?働かずに頭だけで観念的に考えたことなど信用できない。実際に動いてみないと分からないことは多い。ほとんどプロテストするだけの人生。空っぽの偏ったつまらない人生である。


以上


宗教改革500年

宗教改革500年
 毎日新聞17年10月28日
宗教改革500年
 毎日新聞17年10月30日
宗教改革500年
 毎日新聞17年10月31日
宗教改革500年
 四国新聞18年8月26日に腰痛予防のストレッチが載っていた。
 私も十年以上、起床後ベッドの上で約30秒×3回している。かなり効果がある。

宗教改革500年
 今日はいつもよりかなり早い時刻にマックに行った。日曜ということもあり、ドライブスルー、店内ともいつもの4倍くらいのお客様がいた。例えば、不動産を買う場合、日中、夜、雨の日など、最低でも3回は現場に行けと言われる。なるほどなーと思った。

宗教改革500年
 マック近くの空地で澄んだ鳥の鳴き声が聞こえたので探したら、ハッカチョウがいた。最近、よく見かける。もともとは東南アジアあたりの鳥らしい。温暖化の影響?
 (写真には写っていないが、何匹ものトンボが飛び交っていた。秋の気配が…)





 宗教改革500年


 昨年は宗教改革500年の年だった。私は宗教にうとい。キリスト教は、大きく分けてカトリックとプロテスタントに分かれていることは知っている。先日カトリック神父の子どもへの性的虐待の問題を取り上げた。

 昨年10月末に毎日新聞「ルターの光と影」のタイトルで3回にわたって特集した(中西啓介記者)。それを大まかにまとめてみたい。


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ルターの光と影
 宗教改革500年


 【宗教改革】
 キリスト教世界の中心だったローマ・カトリック教会に異議を唱え、反旗を翻したマルティン・ルターや「ルター派」と呼ばれる賛同者らによって提唱された運動。ルター派は神聖ローマ皇帝に改革を求める抗議書を提出したことから「プロテスタント(抗議する者)」と呼ばれ、やがてカトリックから分離した教派を示す言葉となった。社会学者のマックス・ウェーバーはプロテスタントの思想が近代資本主義の発展につながったと分析した。


 大衆向けに聖書翻訳
 読み書き普及 世界動かす

 1517年10月31日、もしドイツの神学者マルティン・ルターが「95カ条の論題」と呼ばれる宗教問答を公表しなければ、今もほとんどの子供が小学校に通うことなく、私たちは豊かさとは無縁だったかもしれない。

 「真に悔い改めたキリスト教徒は、免罪符がなくても完全な許しを得ている」。ルターが独東部ウィッテンベルグ城教会の扉に張り出したと伝えられる論題は、ローマ教会が独各地で罪の許しを与える「免罪符」を販売し、莫大な利益を得ていることを批判したもの。

 キリスト教改革を試みたのはルターが初めてではない。15世紀初頭、チェコの神学者ヤン・スフは聖書のみを信仰の根拠とする考えを提唱。「異端」とされたスフは火あぶりにされた。だがルターは同じ失敗を繰り返さなかった。活版印刷を活用し、クラナッハの宗教画を載せたルターの文章は瞬く間に広がった。

 聖書を自分たちの言葉で理解する動きは、子供たちに読み書きを教える学校の設立につながる。この教育の普及が世界を近代化へと突き動かす原動力の一つになるのだった。


 労働は天職 「近代」の礎

 マルティン・ルターはなぜ宗教改革を目指したのか。その原点の一つは、修道僧時代に訪れたローマで受けた衝撃にあった。

 教会の幹部はぜいを尽くし、司祭らは規則を守って結婚はしないものの陰で愛人を囲う――。「聖書の教えに反する現実に出会った」ことによる失望は教会への疑問視と、聖書に立ち返る姿勢につながった。

 聖書を読み込み考え抜く中で、ルターは「聖職者は結婚してよい」という考えを生み出す。また、それまでマイナスイメージが持たれていた労働を、神に与えられた「天職」と捉えたことは労働意欲を刺激し、ルターの改革に伴って進んだ教育の普及とも相まって、欧州キリスト教世界に「近代」をもたらす資本主義や産業革命へとつながる礎になった。


 宗教改革は「光」の部分がまばゆいが、「影」も濃い。「改革の結果、16,17世紀は血なまぐさい衝突が続いた」。プロテスタントとカトリックの衝突によって欧州は荒廃した。

 一方、宗派間対立は米国の成り立ちにも影響した。17世紀に英仏から迫害されたプロテスタントが新大陸を目指した。彼らは米国開拓を推進し、迫害の経験から信仰と言論の自由、政教分離の原則など米国政治の土台を作った。


 功罪ともに世界に大きな影響を及ぼした宗教改革。ルター個人が残した負の遺産もまた大きかった。


 ユダヤ人迫害を扇動

 「第一にシナゴーグ(ユダヤ教礼拝堂)や学校に火をつけ、燃えない物は土で埋めよ」
 マルティン・ルターは1543年、「ユダヤ人と彼らのうそについて」という著書で、「キリスト教徒であることをたたえるため」としてユダヤ人迫害を扇動した。

 その時期に出され、350年以上忘れられていた同書を「発掘」し、利用したのがナチスだ。反ユダヤ主義新聞を創刊したユリウス・シュトライヒャーは何度もルターの著書を引用し、600万人以上のユダヤ人が犠牲になったホロコースト(ユダヤ人大虐殺)につながる差別思想をあおった。

 一方、ルター思想は反ナチス運動も支えた。個人の自由を強調するルターの教えは全体主義への警鐘としても機能した。


 活版印刷の黎明期(れいめいき)と時期を同じくしたルターの思想は、識字教育の普及を推し進めたことで情報化社会の誕生にも貢献した。人々は聖書を含め情報を自分で入手できるようになり、神と人々を仲介していた教会のくびきを外れ、個人主義の時代を迎えた。

 その情報化社会はインターネットの普及で誰もが発信可能なところまで来た。「宗教改革はメディア革命でもあった。そして私たちは今もその影響下にある」。


以上


プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子、足立康史、竜崎伸也ほか多数。

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