公文書管理ルールを明確に

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 四国新聞18年4月1日
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 日経新聞18年4月4日
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 朝日新聞18年6月3日
公文書管理ルールを明確に
 四国新聞18年4月8日
 香川県・豊島(てしま)の産廃物は14年の歳月と770億円を費やして昨春処理済みのはずであったが、今なお発見されている。廃棄物処理はそれぐらい難しい。豊島の世帯数は440軒弱なので1軒当たり1.75億円以上になる。

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 香東川(郷東橋から)
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 香東川岸の大木(今度、近くの喫茶店の人に木の名前を聞いてみよう)





  公文書管理ルールを明確に


 私は、森友問題にも加計問題にも驚かなかった。

 森友問題に関しては、国有地売却でおかしなことは昔からいくらでもあった。民間企業である朝日新聞、讀賣新聞、毎日新聞、日経新聞、産経新聞の本社ビルも国有地を安く払い下げてもらっている。経団連のビルを建てるときもそのような要請があったやに聞いている。

 また、森友の該当地は元は沼池で、家庭ゴミ、産廃ゴミの不法投棄地となっていた。香川県の豊島(てしま)問題を見ても分かるが、ゴミの問題は厄介で、本当のことはすべて掘り起こさない事には分からない。それをするとその費用だけで土地の値段を上回りかねない(豊島産廃は14年、770億円かけても未だ収まっていない)。また同じ一筆の豊中市野田中央公園は実質14億円値引きされている。

 その上、関西特有の詐欺師夫婦が多くの政治家や昭恵夫人を巻き込んでいる。廃棄物に関する事前説明不足(役所のチョンボ)や小学校開学に間に合わなかった場合の損害賠償請求などを口にして役人を脅しまくっていた。


 加計問題に関しては、安倍首相と加計学園理事長が古くからの友人であったということだけ。日本の獣医学の問題は、①公務員獣医師、大型動物獣医師が不足していること、また獣医師会の政治力が強過ぎて半世紀以上も新しい獣医学部が新設されていないため切磋琢磨がなく、②日本の獣医学が欧米から非常に遅れていること。さらに付け加えるなら、獣医学部が東8割、西2割と偏在していること。

 これらは、加戸(かと)守行・前愛媛県知事の話を聞けば、すぐに分かること。加戸知事は、2000年以降、鳥インフルエンザ、BSE、口蹄疫などの人畜共通感染症の防疫に苦労した。そのため今治市に獣医学部を誘致しようといろいろな大学に声をかけ、最終的に話に乗ってくれたのが加計学園だった。しかし、構造改革特区制度を利用して10年余で15回も申請したが、獣医師会、文科省、獣医師会から献金を受けている政治家などの岩盤規制にはねられ続けてきた。

 日本のメディア、なかでも朝日新聞、毎日新聞、テレビ朝日、TBSなどは、憲法9条改正を明言している安倍内閣打倒が目的のため、加戸(かと)守行・前愛媛県知事の証言をほぼ無視している。加戸・前知事の証言を報道すると「加計問題」は無くなって、彼らには都合が悪い。朝日、毎日、テレ朝、TBSなどは「大義のためには事実を曲げてもかまわない」と思っているマルクス主義者(左翼)が多い。用心することである。


 私が非常に驚いたのは、決裁文書の改竄(かいざん)である。

 私は民間で育ったが、親会社がアメリカで株式を上場しているため、親会社の一室に常時何人か当時のプライス・ウオーターハウスの公認会計士が常駐していて、私自身も監査を受けたことがあるし、税務署、国税の調査を受けたこともある。会社の規則通りに仕事をすることが最も効率的だという信念で、文書管理も厳格に行っていた。

 それだけに今回の財務省の決裁文書の改竄には心底驚いた。あり得ないこと。底が抜けてしまったように感じた。大至急、原因究明と抜本的対策を講じる必要がある。違反者の厳罰化も必要である。


 四国新聞18年4月1日に時事通信特別解説委員の田崎史郎さんのコラムが載っていた。抜粋してご紹介します。


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 決裁文書改ざん
 国会で調査委設置を


 学校法人「森友学園」への国有地売却に関する財務省の決裁文書改ざん問題は、来年4月末で終わる平成の時代で、政治、行政の在り方を考える際、最大級の不祥事と言えるだろう。

 ここは、立法府対行政府という枠組みでとらえ、国会が調査委員会を設置して調査し対策を考えるべきではないか。


 ●史上初の事故調
 
 前例は2011年にある。東日本大震災後、国会に「東京電力福島原発事故調査委員会」(以下、事故調)が設置された。この事故調の報告書は今も衆院のホームページに掲載され、委員長の元日本学術会議会長・黒川清は冒頭、誇らしげにこう記している。
 「国民の代表である国会(立法府)の下に、憲政史上初めて、政府からも事業者からも独立したこの調査委員会が、衆参両院において全会一致で議決され、誕生した」

 事故調の設置法案は当時、野党だった自民、公明両党、旧たちあがれ日本の3党が同年8月、衆院に提出した。与党だった旧民主党も受け入れざるを得ず、同法は一部修正の上9月末、成立した。

 
 設置法案提出時の自民党政調会長・石破茂は当時をこう振り返る。
 「東京電力、政府どちらに聞いても、原因が明らかにならなかった。当事者は本当のことを言わない。ここは国会が国会の仕事、権能を果たすべきじゃないかとなった。与党も野党もない、と思った」

 事故調設置法は、民間の有識者10人の委員任命の日からおおむね半年後をめどに、衆参両院議長に報告書を提出しなければならないと規定。事故調は上部機関に当たる国会議員による協議会を通じて、証人喚問を含む事実上の国政調査権を行使できる仕組みにした。事故調は同年12月に発足。翌年7月に報告書が公表された。


 ●教訓くみ取る

 戦後の歴史上、東日本大震災も決裁文書改ざんもまれにみる出来事だ。被害者は誰か、と考えると後者の場合、財務省から真実を伝えられていなかった国会議員であり、国会議員を選んだ国民である。

 今回の文書改ざんは与党、野党、そして政権も、財務省にないがしろにされていた。

 特捜部の捜査は法律違反に当たるかどうかの判断であり、財務省調査は身内の調査。

 ここは、与野党が協力し、立法府が行政府を調査し、教訓をくみ取る方法しかないと思う。


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(感想・意見など)

 調査委員会は10人程度の有識者で構成するとして、その中の1人に是非、福田康夫元総理大臣を入れてもらいたい。福田氏は、首相在任時に公文書管理法制定に非常に熱心だった記憶がある。


以上


中村時広知事はアスペルガー??

座談の名手
 週刊現代18年6月9日号
中村時広知事は「正義の味方」ではない
 週刊新潮18年6月7日号

  「ある県職員によれば、
 『今や、愛媛県は内々(うちうち)の話が出来ない県だとレッテルを貼られ、職員が中央官庁に陳情に行っても誰も会ってくれません』
 無鉄砲に正義の味方を演じるのだ。」

中村時広知事はアスペルガー??
 四国新聞18年6月3日
 「ある県職員は『うちの殿は一度決めたら止まらない。このまま国と対立していると思われるのはしんどい。早く解決してほしい』と本音を漏らした。」

中村時広知事はアスペルガー??
 産経新聞18年4月5日
中村時広知事はアスペルガー??
 (宝島社新書)
中村時広知事はアスペルガー??
 庭に植えた覚えのない木が生えてきて2メートルくらいになった。その木の周りをアサギマダラを小さくしたような蛾が4・5匹ひらひら飛び回っている。ミカン科の木にはアゲハチョウがよく来て、嬉しそうに飛び回っている。
中村時広知事はアスペルガー??
 先日TSUTAYAに雑誌を買いに行った時、レジ前に瓶に花を入れたものを沢山置いていた。昔、流行った水中花とも違う。

 その日、家に帰るとポストの中に住宅会社のパンフレットが入っていた。「ハーバリウム」の作り方を解説している。ビンにドライフラワーを入れて専用オイルを入れて作るらしい。





 中村時広知事はアスペルガー??


 愛媛県の中村時広知事がどうもおかしい。日本はいま大変な時だというのに、どうでもいいことでワアワア騒ぎまくっている。ものごとの寸法が見えないらしい。時勢が分からないらしい。

 (憲法9条改正を明言している安倍内閣打倒を目指している日本共産党や立憲民主党、朝日新聞、毎日新聞、テレビ朝日、TBSなどが手段としてモリ・カケなどで騒いでいるのは理解はできる)

 2か月ほど前に読んだ産経新聞の記事を思い出した。東大史料編纂所の本郷和人教授のコラムである。本郷先生の専門は日本中世史。抜粋してご紹介します。


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 歴史的人物と性格

 三成はなぜ「忖度」できなかったか


 ぼくがずっと疑問に思っていたこと。それは「なぜ石田三成は忖度をしなかったのか」です。三成は優秀な知能をもっていた人物だった。これはたいていの人が賛同する認識でしょう。だからこそ、豊臣秀吉は、彼を政権の中枢に据えた。

 その三成が、いわゆる「武断派」の武将、加藤清正や福島正則らにものすごく憎まれた。慶長4(1599)年閏(うるう)3月3日、諸将の融和を図っていた前田利家が没すると、武断派は直ちに三成襲撃の挙に出るのです。

 徳川家康が間に入ったので、三成は危機を脱したのですが、五奉行を罷免され、近江・佐和山に隠居することになりました。この事件、普通は朝鮮出兵で辛酸をなめた武断派と、豊臣政権の担い手であった文治派の対立、という図式で説明されます。でも、加藤や福島が狙ったのはあくまで三成一人。他の五奉行メンバーは関係なし。どう見ても、「三成憎し」が昂じた激発です。

 それでぼくは不思議に思ったのです。三成ほど頭のいい人が、なぜ加藤や福島に「お疲れさん」と言えなかったのか、と。お前たちの苦労はよく分かるぞ。オレは補給でがんばってるけど、しょせんは矢弾が飛んでこない気楽な仕事だからな。まあ、これはほんの気持ちだけど、酒宴でも張って英気を養ってくれ…。そんな感じでこまめに声をかけたり差し入れをしたりすれば、加藤や福島だってあそこまで怒らないでしょう。

 これは何も、わが身かわいさを目的としての行動じゃない。秀吉が衰弱しているさまを見れば、この専制君主が長くはもたないのは、当然わかるはず。秀吉が亡くなれば、後継者は幼い秀頼です。豊臣政権を引き続き運営していくのに、武断派諸将、とくに秀吉子飼いである加藤や福島の協力はますます必要になる。だったら、彼らの忠誠心をがっちりとつなぎ留めるためにも、彼らへのサービスは当然必要だった。それは三成は十分に分かっているはずなのに、なぜ実行に移さなかったのか。


 うん、そうかもしれないな、という仮説を教えてくださったのは、脳科学者の中野信子先生でした。中野先生は「三成はもしかしたら、アスペルガーだったかもしれない」と診断するのです。

 アスペルガーの人はゲシュタルト知覚(ものごとを全体の枠組みで理解する知覚)に乏しい文脈を理解できない。空気を読まない。こういう場面ではこういうことを言ってはいけない、が分からない。それは頭の良さとは無関係。だから、秀吉の命令には忠実なのに、加藤や福島に「そちらはバカだなあ」と平気で言いそうな彼がアスペルガーだったとしたら、全てがよく説明できる


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(感想・意見など)

 もし、石田三成が、加藤清正や福島正則ら諸将にあと2割ほども配慮ができていたら、歴史は変わっていた可能性が高い。


以上


テレ朝、TBSは共産党御用達?

テレ朝、TBSは共産党御用達?
 朝日新聞系列のテレビ朝日 報道ステーション
テレ朝、TBSは共産党御用達?
 毎日新聞系列のTBS NEWS23
テレ朝、TBSは共産党御用達?
 讀賣新聞17年8月22日 意見広告

 「加計問題」国会閉会中審査における放送時間の格差
 「行政が歪められた」という前川喜平・前エロ文科次官証言に6局計2時間33分(153分)、「歪められた行政が正された」という加戸守行(かと・もりゆき)・前愛媛県知事証言は6局計わずか6分日本のテレビ局はデタラメ!!放送法に完全に違反している。

テレ朝、TBSは共産党御用達?

 上記の加戸守行・前愛媛県知事の証言を、朝日新聞と毎日新聞では一般記事では全く載せなかった。0行。保険の約款(やっかん)のような細かい字の詳報にわずかに載せただけ。意図は明らか。

テレ朝、TBSは共産党御用達?
 (WAC) 994円
 朝日53年の長谷川煕(ひろし)さんと36年の永栄(ながえ)さんの対談。朝日新聞は「マルクス主義結社」であることが書かれている。

テレ朝、TBSは共産党御用達?
 時々いくカフェの庭に咲いていた花。初めて見る花であったが、数日後にスーパーの花売り場で見かけた。「ギガンジューム」というらしい(ネギ属ユリ科)。1本120円だった。





 テレ朝、TBSは共産党御用達?


 2・3日前かネットサーフィンしていたら、下記記事が目についた。テレビ朝日の「報道ステーション」とTBS「NEWS23」を基準にNHK「ニュース7」と「ニュースウォッチ9」を比較している。

 私は上記「讀賣新聞17年8月22日 意見広告」に見るがごとく、どっちもどっち(デタラメ)と思っていただけに、あれれと意外であった。

 誰が書いた記事だろうと不思議に思って探すと、日本共産党の機関紙、「しんぶん赤旗 藤沢忠明 18年5月31日」とあった。それなら納得。朝日新聞、毎日新聞、その系列のテレビ朝日、TBSはほとんど左翼の巣窟だと思われる。


 しんぶん赤旗の該当記事を抜粋しして紹介します。


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「森友・加計」国会報道
NHK、際立つ少なさ

 学校法人「森友学園」への国有地格安払い下げ問題、同「加計学園」の獣医学部新設をめぐる問題の二つの安倍首相による「国政私物化」疑惑は、昭恵夫人の関与を示した財務省の改ざん前文書や、愛媛県の新文書提出などで、全体の構図がほぼ明らかになってきました。ところが、NHKのこの間の両疑惑をめぐるニュース報道には、大きな疑問が浮かび上がっています。

 衆参両院の予算委員会で28日におこなわれた集中審議。テレビ朝日系の「報道ステーション」など民放は、日本共産党の小池晃書記局長、宮本岳志衆院議員が、独自に入手した政府の内部文書を示して、昨年9月、財務省理財局と国土交通省航空局の両局長が“口裏合わせ”していたことなどを詳しく報じました。

 しかし、NHKの「ニュース7」「ニュースウオッチ9」は、高齢ドライバーによる交通事故や、日大アメフット事件などを報道。集中審議の模様は5番手でした。

 29日の「ニュース7」にいたっては、国会の「森友・加計」疑惑追及そのものを報道しませんでした。

 同日開かれた衆院財務金融委員会で、日本共産党の宮本徹議員は、「森友」決裁文書の改ざんを認めた後も財務省が改ざんをしていたことを暴露したり、立憲民主党の川内博史議員の追及に、麻生太郎財務相が「改ざんは悪質でない」と暴言を吐いたりしたにもかかわらずです。

 NHKが政権側に忖度(そんたく)しているのか―。

 日本共産党の山下芳生参院議員のもとに、NHKの関係者が書いたとみられる文書が3月26日に届いたことがあります。それによると、実名で記されたNHK幹部が「ニュース7」「ニュースウオッチ9」などのニュース番組の編集責任者に対し、「森友問題」の報じ方について、「トップニュースで伝えるな」「トップでもしかたないが、放送尺は3分半以内に」「昭恵さんの映像は使うな」などと細かく指示していたとしています。

 本紙は、これらの「指示」が本当に番組に反映されたかを、「報道ステーション」、TBS系「NEWS23」と比較検討しました。期間は、「朝日」が森友文書改ざんをスクープした3月2日から、佐川宣寿前国税庁長官の証人喚問がおこなわれた同月27日まで。この結果、NHKの「森友」報道の少なさが際立ち、“昭恵夫人隠し”も徹底されていることが浮き彫りになりました。(4月30日付で詳報)


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(感想・意見など)

 長谷川さんと永栄さんの『こんな朝日新聞に誰がした?』にこうあることを思い出した。


長谷川 朝日のなかには二つの流れがあったと思います。マルクス主義でも、いわゆる代々木(日本共産党)系と全共闘系がありますから。いずれにしても、階級闘争によるマルクス主義の実現が目的ですから、その点においてブレはなかった。

 朝日社内では「どうしてあの人がその部署にいるのか」と思うような人がたしかに点在していた。ある者はそのことに疑問を持っていたんだけれど、そういうさる人がまず共産党員だと確信できる状況が生じて、「ああ、そういうことだったのか」と思ったと言っていました。

 別のある者も、「そこそこの人数が集まるのに、その部署の自分は呼ばれない会合があるので何だろうと思っていたが、共産党組織の定例的な集まりだった」と言っていました。


永栄 朝日の共産党との親和性というか、遠慮みたいなものは私もたしかに感じた。その頃、富山で開かれた日本教職員組合(日教組)の教研集会で、新聞記事を使っての授業報告が続いた際、教材として採り上げられている記事は、一般紙では讀賣が一本、それも批判的に例示されていただけで、残りはすべて「赤旗」だった。呆れたというかギョッとし、批判と読めなくもない30行ほどの原稿を出しました。ボツでした。



 (要するに、朝日新聞、毎日新聞、テレ朝、TBSなどは日本共産党とツーツーで、NHKの中にもツーツーの人はいるが、上層部にはそうでない人もいるということではないか。朝日、毎日、テレ朝、TBSなどは共産党にとって愛(う)いやつで、NHKは必ずしもそうではないということ。モリ・カケ叩きは手段で、目的は憲法9条改正を明言している安倍内閣潰しである。加戸・前愛媛県知事の証言が正しく伝えられ(さらに言えば岩盤規制側の獣医師会等の半世紀以上に及ぶ暗躍も暴い)ていたら少なくともカケはなかった。われわれはそこを間違えないように、事実を知るように努めるべきである)

 (私は大学生時代1年半ほど大学の寮に入った。その寮は民青(共産党の下部組織)員の巣窟と言われていた。彼らの就職希望先は、公務員、教員、マスコミなどが多かったように思う。彼らはあらゆるところに入り込んでいて、密かに共産党の細胞として活動している。よく共産党が「われわれが入手した資料によると…」と発表しているが、それらは彼ら細胞の手によってもたらされたものの可能性が高い)



以上


中村時広知事は「正義の味方」ではない

中村時広知事は「正義の味方」ではない
 週刊現代18年6月9日号
 
 いかにも中村時広知事が「正義の味方」のように書かれている。一方的な主張。加戸守行前知事の主張にも同量の3ページを割いてほしい。ものごとが全く違って見えてくる。

 加戸知事は「加計ありき」で誘致したのではない。松山大学や東海大学その他の大学にも色々声をかけた。獣医学部を誘致しようとしているのを聞きつけた北村直人獣医師連盟委員長と日本大学の酒井健夫(たけお)総長が話を潰すため東京から愛媛県庁に乗り込んできた。加戸知事は「日大で作ってくれるのでしたら喜んでお受けします」と述べたら、日大総長は「喜んで」と言ったが、その後なしのつぶて。

 結局、やりましょうと言ってくれたのが岡山の加計学園だけだった。鳥インフルエンザ、BSE(牛海綿状脳症、狂牛病とも)、口蹄疫(こうていえき)などの防疫に苦しんだ愛媛県、今治市にとっては、獣医学部を作ってくれる猫が一番いい猫。

 獣医師連盟は、玉木雄一郎や福山哲郎、石破茂など議員諸氏に政治献金を100万円単位でばらまき、恐らく文科省の天下りを大勢受け入れ、ひょっとすると(国際医療福祉大学のように)大メディアからも定年前後の人を受け入れ、半世紀以上も岩盤規制を守り続けてきた。獣医学部は人気があるため、私立の獣医学部は定員の5割ほども水増し入学させウハウハ

 そのせいで、①公務員獣医師、大型動物獣医師は不足し、②鳥インフルエンザ、BSE、口蹄疫などの人畜共通感染症にまともに対応できない獣医師ばかりを増やしてきた。欧米では日本の獣医師は獣医師とみなされない。

中村時広知事は「正義の味方」ではない
 週刊プレイボーイ18年6月11日号
 池田和隆さんは故松岡利勝元農水大臣の秘書を16年間務めてきた。

 池田さんが言うには、①獣医学部の新設を認める「国家戦略特区」について指示することは首相の正当な職務。何の問題もない。②与党議員は年に数千人と面会する。首相ともなればものすごい数になる。3年前に誰とどんな会話をしたかなどすべて記憶しているほうが不自然
 
中村時広知事は「正義の味方」ではない
 週刊新潮18年6月7日号
 中村時広知事はどうでもいいことでワアワア言っている。せいぜい十か百の問題。アホかと思う。千や万の重さの問題が山積しているというのに。物事の軽重の分からぬ人。時勢の読めぬ人。目立ちたがり、スタンドプレー、個人プレー…?

中村時広知事は「正義の味方」ではない
 5月が終わり、お礼のため近くの神社で拝礼をしていたら、猫たちが寄ってきた。
中村時広知事は「正義の味方」ではない
 帰ろうとしたら猫たちがついてくるので、ちょうど参拝に来た親子に任せた。
中村時広知事は「正義の味方」ではない
 本津川の「(桃太郎の)あばあさんの洗濯場」の近く。2匹のと尺大のが30匹ほど。
 香東川では見かけないが、本津川では高校生あたりが時おり釣りざおを垂らしている。




 中村時広知事は「正義の味方」ではない


 私は27年間のサラリーマン生活の半分ほどを2度の松山で過ごした。1978年~は白石春樹知事の時代の3期、4期時代だったか。まだ前任の伊予松山藩の久松松平家の流れをくむ久松定武前知事の名前も取りざたされていた。

 とにかく愛媛県というか松山市というかは、政争の激しいところであった。白石春樹知事の背中には「くりからもんもん」があると噂されていたが、来島ドック社長の坪内寿夫(つぼうち・ひさお)との争いはすさまじいものであった。坪内は「再建王」「船舶王」とも言われ、小説家の柴田錬三郎には「四国の大将」と呼ばれた。

 2度目の松山は、伊賀貞雪(さだゆき)知事の時代。たしか1995年には東京に転勤になったので、そのあとの加戸守行知事の時代は知らない。


 昨日、評論家で徳島文理大学教授の八幡 和郎(やわた・かずお)さんがブログ「因縁深い愛媛政治家列伝」を書いていた。愛媛と言えば政争の激しいところという印象しかなかった私には勉強になった。転載します(ちょっとだけ編集)。


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 因縁深い愛媛政治家列伝 〜 知事は良くも悪くも「全国最強」の権力者
 2018年06月01日 06:00 八幡 和郎



中村時広と塩崎恭久の父子二代に渡る因縁が続く

 加計問題では、愛媛県の政治家たちの個性的な振る舞いが混乱に輪をかけている。

 地元今治の村上誠一郎代議士は、朝日新聞などで反安倍代議士として大活躍である。彼が安倍首相と違う政見であることは何も悪いことではないが、いかにもえげつないやり方には、「トヨタの車の悪口をトヨタの社員がいえばニュースになるのと同じ」であって、あまり品の良いやり方でない。また、村上が岡田克也氏の義兄であるのに、マスコミがそれを彼の無視できない属性として指摘しないのもおかしい。

 一方、中村時広知事については、彼の政治的経歴と、愛媛県知事が代々、全国最強の封建領主といわれてきた歴史も頭に入れておかないと理解できないところがあると思う。

 中村氏のアンチ安倍路線は、やはり、塩崎恭久元厚生労働相とのライバル関係が根っ子にあると思う。

 中村知事の父である中村時雄は、民社党の代議士で、1949年の初出馬から旧愛媛一区(定数3)で、二度落選したが、三度目の正直で当選したあとは、一度だけ苦杯をなめたものの5勝1敗だった。ところが、1969年の総選挙では、自民党から大蔵官僚だった塩崎潤が出馬して保守系3人が当選して中村は苦杯をなめた。

 中村は、1972年の選挙でも落選したが、1975年の松山市長選挙に出て当選した。自由民主党・日本社会党・日本共産党・公明党・民社党がそれぞれ候補者をする「オリンピック選挙」を制したのである。

 しかし、4期目の途中にあった1990年総選挙で、あとで説明するように、中村時雄の息子で愛媛県議会議員の中村時広が愛媛1区から保守系無所属立候補したのだが、これに怒ったのが、代議士として8期目だった塩崎潤で、松山市助役・田中誠一に立候補させ中村を落選させた。

 それに続く、1993年の最後の中選挙区による選挙では、中村時広は日本新党から出馬して当選。塩崎潤はスキャンダルに巻き込まれたこともあって引退し、息子の塩崎恭久が継承してやはり当選した。

 1996年には小選挙区制による最初の選挙が行われ、自民党は関谷勝嗣を立て、中村は新進党から出馬したが関谷が勝利した。このとき、塩崎恭久は関谷との調整で前年から参議院議員となっていた。1999年には中村時広は松山市長選挙に出て、父親を裏切って市長になっていた田中を落選させて仇を討った。

 2000年の総選挙では、かねてよりの約束に従い、塩崎は参議院議員を辞職して関谷が補欠選挙で当選し、塩崎は総選挙にまわって当選。1999年には、専横を批判されていた伊賀貞雪知事に、塩崎恭久ら国会議員が反旗を翻し、文部官僚だった加戸守行を立てて当選させた。

 加戸は2010年に引退し、中村松山市長を後継として当選させた。しかし、塩崎と中村の関係は円滑とはいえず、塩崎が実質的に支援して、松山市長選挙に中村後継の現職に対抗させて経済産業省の官僚を立候補させたりもした。また、塩崎は総選挙で8連勝しているが、盤石というほどではなく、たとえば、中村が国政に転出すれば微妙とも言われる。


 愛媛県歴代知事列伝

 最初の公選知事は、官選知事だった青木重臣(1947~51)である。有能な内務官僚だったが、独善的で、とくに県議会で勉強不足の県議たちに対して馬鹿にしたような答弁を繰り返し、反発が強まった。

 そこで、保守党派内では、銀行などを経営して貴族院議員だった佐々木長治の名が出たが、当時の自由党党首だった吉田茂は現職の青木知事を優先し混乱した。それを見た社会党は、緑風会の参議院議員だった旧松山藩主の直系、久松定武(1951~71)を擁立した。久松は全県をくまなく巡回し、絶大な人気を獲得した。これをみて、自由党も佐々木に乗り換えて応戦したが時遅く、3000票足らずの僅差ながらも予想外の殿様知事の誕生となったのである。

 このように、社会党の支持で当選した久松だが、保守派内でものちに知事となる白石春樹など与党グループが形成され、とりあえず、順調な船出となった。だが、徐々に保革の対立が先鋭化し、とくに、社会党寄りだった副知事・羽藤栄一に対する反発は強かった。ここで、白石は奇想天外な策に出る。つまり、副知事廃止条例を制定したのである。

 当然のことながら、羽藤や社会党の反発は強く、法廷でも政治の場でも闘争が繰り広げられた。だが、最後は、大王製紙の井川伊勢吉らの財界人グループが仲裁に入り、知事室での緊迫したやりとりの末に副知事廃止に同意する念書に久松は署名したのである。そして、久松の再選をめぐっては、羽藤が社会党の後押しで挑戦したが、保守陣営に転じた久松に歯が立たなかった。この選挙では、久松陣営が機先を制するために、知事早期辞任の奇策を行い、正月選挙という珍しい伝統が生まれた。

 3選目の選挙では、再び久松が社会党が推す三橋八次郎をよせつけず勝利した。だが、4選目の選挙では、保守会派が派閥争いを起こして分裂した結果、保革連合で県政刷新県民の会が結成され、愛媛新聞社長の平田陽一郎が立候補し、まれにみる接戦となった。これに対して、自民党は選挙違反覚悟で徹底抗戦し激戦を制したが、選挙違反が続出し総括責任者だった白石春樹(1971~87)も逮捕された。現在のように百日で判決という時代ではないので、高裁の判決が出て最高裁に上告中に5選目の選挙になり、社会党のエース湯山勇代議士が革新知事らの応援を得て立候補したのを押し返した。

 そして、明治百年の恩赦があるというので、白石は上告を取り下げて刑を確定させたうえで恩赦を受けた。このために、久松の4期目は当選無効となったが、任期はすでに終わっていたので実質的意味はなかったのである。そして、1971年の選挙で、「罪を一人で被った」白石はより強固な基盤を手に入れて、湯山の再挑戦を大接戦の末に退けて当選した。その後も、野党は白石が張り巡らせた芸術品とまでいわれたマシーンに歯が立たなかった。とくに、3選目、4選目の選挙では、白石は立ち会い演説会に参加しないという横暴ぶりだった。

 この間、久松県政においても、白石が実力者として君臨していたので、久松の5期と白石の4期はほとんど連続している。愛媛では、県教組の力が強かったが、白石はこれを猛然と切り崩した。とくに、久松時代の「勤評闘争」や全国学力テストをめぐる騒動は、全国的にも注目され、全県をゆるがす大事件となった。政治的にも抜群の力を誇った教祖への反発が強かったのに理由がないわけではなかったが、組合員に対する南予の山間地から瀬戸内の離島へ毎年、移すといった過酷な転勤命令、学力テストで全国一位を獲得するために試験の範囲ばかりを教えるとか、成績が悪い生徒への欠席勧告、カンニングや問題漏洩などが続出し子供たちの心にも深い傷跡を残した。

 その一方、経済面では、蜜柑や真珠の特産品としての成長、東予新産業都市の建設、南予の観光開発、伊方原発の立地、強力な政治力の成果としての本四架橋「しまなみ海道」の建設などが展開された。

 また、来島ドック社長の坪内寿夫と愛媛県の剛腕知事としてその名を轟かせた白石春樹が対立し、坪内が傘下に置いた「日刊新愛媛」を通じて県政批判を展開し、県がそれへの取材拒否に踏み切るという「喧嘩」は、まったくローカルな出来事にもかかわらず全国的な話題となった。この白石の時代から後継者の伊賀貞雪にかけて伊予の知事は全国最強の封建領主といわれたのである。

 その白石も高齢のために引退することとなり、副知事の伊賀貞雪(1987~99)が公明や民社の推薦も得て立候補し、事実上の無風選挙を制した。再選時も共産党候補のみが対立候補だったが、3選目には社民党などが前愛媛大学学長の福西亮を擁立して緊迫したが寄せ付けなかった。

 だが、4選を狙った1999年の選挙では、若手県議や一部国会議員からの反発で、文部省OBの加戸守行(1999~2010)が擁立され、自民党本部も積極的に応援した。県教組も文部官僚時代の実績を肯定的に評価し戦列に加わり、国会議員の一部や各種団体の一部の支援を受けた現職や、読売新聞出身の県議である藤原敏隆などを圧して勝利した。

 伊賀定雪は、松山商業出身の県職員で白石が後継者として指名しただけあって、素晴らしい切れ者の能吏であった。国際化の流れに応じていちはやくFAZ(輸出入促進地域)の指定を獲得したり、松山空港への国際線の就航に取り組むなど積極的な経済開発を展開したし、財政の健全性維持にもすぐれた手腕を発揮したことは間違いない。


 政治姿勢も就任早々は「県民を納得させる親切行政」というなど対話を強調し、白石時代とは違った謙虚なものと映った。ところが、徐々に側近政治に傾き、また、プロパー、出向者を問わず職員に対する極端に峻厳な態度、民間人でも少しでも県政改革について意見を言う者に対する露骨な嫌悪を見せた。また、白石時代から国会議員に対する県庁優位は極端だったし、諸行事の際には、すべての出席者が揃ってからおもむろに知事登場とか、知事が他県へ行くときは皇族並みといわれる慎重な準備を県職員がして驚かれたりもした。

 あるいは、白石とは一期目途中から関係が悪化し、葬儀にも出席しなかった。こうした極端な姿勢が反乱につながったのである。

 加戸は、私のインタビューでも、「これまでの知事は強い権力をもっており、知事が言えばすべて決まるという具合でした。県政をがっちりまとめていけるという良い面もあり、『しまなみ海道』の整備のような大きな事業は、政治力がなければできていなかったでしょう。ただ、人々の多様な感性を県政に生かすことができなかったという面もあります。自由にものが言えて、言ったことが愛媛の社会に生かしていけるようになればよいと思い、知事就任以来、唱え続けているのは職員の意識改革です。役人の悪い面が職員に表われてこないようにし、県民との意見交換が率直に行われるようになってもらいたい」といっていたが、このような背景があるのである。

 いずれにせよ、やや極端に個性的な知事たちの時代のあと、加戸知事の下で普通の県政に転換しているということであるが、戦後の愛媛県政が強い自己主張で独自性を求めたことのプラス面も無視できないのはいうまでもないし、加戸もハワイ沖の「えひめ丸」事件の際に示したような強い主張と行動力、教科書問題などで示す自らの信念に基づく主張などに個性を発揮しつつ21世紀の愛媛づくりに取り組んでいる。

 その結果として、2期目の選挙では、圧倒的な支持を集めて無風選挙を制した。

 松山と言えば「坊ちゃん」だが、同じ明治でも「坂の上の雲」を売り出したのが松山市長時代の中村時広(2010年)。慶応で中学から大学まで学び、三菱商事に就職したが父が市長時代に県会議員に。1993年の総選挙では日本新党公認で当選し、さらに、松山市長。加戸知事との関係も良好で、順当に後継知事となった。

 その後、加戸中村の関係がどうなっているかは、あえて書かないが、いまやかつての殿様知事たちに劣らぬ豪腕ぶりといわれる中村と、禅譲したはずの加戸のあいだは微妙なものなのかもしれない。

(文中敬称略)

『地方維新vs.土着権力 〈47都道府県〉政治地図』 (文春新書) 八幡 和郎


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(感想・意見など)

 週刊新潮18年6月7日号の最後にも書いている。

 「ある県職員によれば、

 『今や、愛媛県は内々(うちうち)の話が出来ない県だとレッテルを貼られ、職員が中央官庁に陳情に行っても誰も会ってくれません』

 無鉄砲に正義の味方を演じるのだ。」


 柳瀬唯夫(やなせ・ただお)・元秘書官は、愛媛県職員が嘘を言っているとは言っていない。自分が覚えていないと言っているだけ。それを大げさに「ウチの職員が嘘を言っているというのか!」と煽っているのは中村知事。スタンドプレー。

 私が柳瀬秘書官の立場なら、10年以上15回も申請して撥ねつけられたことに同情し、獣医師会側、天下りで配慮された文科省側、政治献金された政治家側などのウラ(癒着)も見えているし、自分の使命として岩盤規制の打破ということもある(またそうすることが国益にかなう)ので、役人としてのノリを越えない範囲で、松竹梅の松の対応をする

 すなわち、「構造改革特区」と「国家戦略特区」との違い、どういうルートを動かしたらいいよとか、こういう書き方をしたら通りやすいよとか、助言すると思う。中村知事はその好意を無にしたどころか、泥まみれにして踏みつけた


 中村時広知事のつまらぬスタンドプレーのお陰で、愛媛県は今後十年以上松竹梅の梅の対応をされるのは間違いない。慇懃無礼に木で鼻をくくった最低限の塩対応をするだけ。そうするのは違法ではない。愛媛県は全官僚を敵に回した

 チャイルデッシュで人の情けの分からない中村知事は鼻高々かもしれないが、割を食うのは愛媛県の役人および愛媛県人である。

 
以上


座談の名手

座談の名手
 吉行淳之介
座談の名手
 週刊現代18年6月9日号
座談の名手
 朝日新聞18年5月27日「折々のことば」
座談の名手
 香川県立図書館に咲いた花
座談の名手
 庭に大きな(直径50センチくらい)葉っぱが出てきた。植えた覚えはない。何の花が咲くのだろう?





  座談の名手


 私は高校生のころから吉行淳之介の小説が好きだった。吉行はしばしば「座談の名手」と言われた。しかし、印刷物ではその場の状況、ニュアンスは伝わりにくい。今と違って動画があるわけではなく、その雰囲気はよく分からず、もやもやしたままであった。

 サラリーマンになって、周りに関西人が何人かいて、「関西風の座談の名手」はある程度分かるようになった。その代表格はお笑い芸人の紳助である。関西の学校にはたいていクラスに1人はこのような人がいる。この場合、話の内容は、事実(実際)はどうでもいい。おもろければそれでいい

 「お前アホちゃうか?事実ーっ?そんなんどうでもええ、おもろかったらええねん!」



 朝日新聞18年5月27日 鷲田清一さんの「折々のことば」にその見本が載っていた。

 「おめでとう。めっちゃきれいやったでー。」
 「ありがとう。そんなん言うてもらえてうれしいわぁ。先週整形しといてよかったわぁ。」

                                       結婚式にて

 花嫁のこの受けには「整形間に合ってよかったなぁ」と返す。「元からきれいだよ」ではなく。国語学者・澤村美幸が衝撃を受けたある結婚式での会話だ。友人のほめ言葉をボケで受ける花嫁に、「おもろい」言葉をさらに被(かぶ)せて話を転がしてゆく大阪人のもてなしの作法である。同じ国語学者・小林隆との共著『ものの言いかた西東』から。



 吉行淳之介は岡山で生まれたが、幼い時から東京で育ったため、上記のエピソードとは違って、『ものの言い方』は東風(ひがしふう)だったかもしれない。


 転勤や転職は大変だが、視野が広がる利点がある。私は高松と松山で仕事の一部として渉外をしたことがある。転勤や転職である種の才能の持ち主を発見するのは歓びである。

 松山のメーカー会で、「座談の名手」がいた。その人が所属していたG社はメーカー10社中シェア的にはほとんど最下位であったが、話がうまいため存在感があった。

 しかし、ある時から病気でメーカー会に出てこなくなった。その後、後任の若い人とメーカー会の忘年会でその「座談の名手」のことが話題になった。

 「座談の名手」が商談に行くと、その商談に関係のない人までもが多い時ではわらわらと10人も集まってくるのだという(商談相手は農協だと思われる)。「座談の名手」は、30分くらい商売とは全く関係のないことばかり話してみんなを笑わせるのだという。

 最後の1分くらいで、「○○さん(本来の商談相手)、以前と同じ条件で■■を〇百台、▲▲を×百台お願いします。〇日には納品できますので倉庫を空けといてくださいね」。

 周りの人たちも散々笑わせてもらったので異存があるわけもなく、商談相手も「了解、了解」で笑いながらクロージング。


 その後しばらくして、この「座談の名手」はがんで亡くなったと聞いた。後輩は、「余人をもって代えがたい人でした」と言っていた。



 加計学園の件で、愛媛県の中村時広知事は、切り口上に「公的機関に偽りの説明をしたとすれば、説明と謝罪をすべきだ!」と怒っている。どのような状況でそのような話が出てきたのかは、役人のメモだけで分かるはずもない。

 役所では冗談も言えない。「説明と謝罪」を求められる。野暮に徹すべし!しかし、こういう人は関西ではいじめられるでぇー。


以上


プロフィール

teccyan88

Author:teccyan88
団塊の世代(♂)。うどん県高松市生まれ。大学は京都。20数年の会社員生活(四国各地・東京・広島・福岡勤務、主として経営管理・企画畑を歩む)の後、早期退職しUターン。専門学校(3年)ののち自営業。
趣味:読書、水泳、水中ウォーキング。
尊敬する人(敬称略):空海、緒方洪庵、勝海舟、大久保利通、司馬遼太郎、盛田昭夫、小倉昌男、佐々木常夫、西原理恵子ほか多数。

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